■高校二年だったか、クラスメイトと、喫茶店をもつならどんな店にしたいかと益体もない話でもりあがった。ちょうどギーガーの画集にはまっていて、ネクロノミコンのような店がいいと熱く語った。いま考えると超だせえ。
■空想というより妄想に近い。飲食も経営もなにも知らない高校生が、知らないことを強みに好きに思い描いた「将来の夢」。でも、職業選択って、そういうバカげた話の先にあるのじゃないか。カメラのピントを合わせるには、まず焦点をぼかし、そこから絞り込んでいく。現実味だとか能力だとかそんなことは全部無視して、ただやりたいことを好きに夢想する。そういった経験がなくて仕事を考えさせると、「いまの自分にできること」から絞り込んで、現状の縮小版にしかならない。人の成長を無視したやり方だと思うが、10代〜20代と仕事の話をすると、たいてい今の自分を基準に考えようとする。
■こういうとき先達とは役に立たないもので、知識や経験が邪魔をしてバカ話ができない。職業を考えるに同輩はあらまほしきことなり。とはいえ、「就活」に戸惑う人たちには、それこそが課題だったりもする。
■あのときのダサい喫茶店に、いまもふと思いをはせることがある。ひょっとしてあれはフォーカスを外す行為なのか。だとしたら、まだ俺でも妄想の相手は務まるのかな。