漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

伝わるもの・伝わらないとき

■5月4日放送のHBC「廃校はアカン! 〜熱血“ホンマちゃん”、北星余市高に生きる〜」を観た。北星余市高校の理科教師、本間先生を数ヵ月に渡って追ったドキュメンタリー。いや、面白かった。本間先生ファン増えるんじゃない?

■成長途中でダメージを受けた子は、大人の「ウソ」にひどく敏感なことがある。言葉と行動のささいな違いを見逃さない。とはいえ、仕事とプライベートは別だから、いつもいつも仕事で対しているような行動はできない。で、たいていは言行一致の「言」を下げる。断言しない。請け合わない。行動と言葉を常に照らし、嘘にならないミニマムな会話を心がける。

■ところが、ときどき仕事もプライベートも巻き込んで、一緒くたに動ける人がいる。そういう人は言葉のレベルを下げる必要がない。感じたままに話し行動して、嘘にならない。本間先生もそうだ。つくりものの熱じゃないから、生徒にもそれが伝わり動き出す。

■ああいうのを「自然体」って言うんだよな。カメラが入ってても入ってなくても、おそらく同じ。俺はあんなには泣けないし、泣きながら弁当食えないもの。ああいう人がもっとも生き生き動けるの北星余市のようなところだと思うので、やっぱり続けてもらいたい。

■自然に伝わってしまうものがある一方、「伝わる」に「理解される」が含まれて、いろいろ面倒になることもある。たとえば意見に齟齬があって、なんとか気持ちを伝えよう、誤解を解こうと思う。それでつい熱心に話して失敗する。なぜならずっと自分のターンだから。人はそんなに長く他人の話を聞けない。

■思いの伝え方や、上手な説明の仕方のワークショップはよくあるけど、伝わらないときの切り上げ方というワークショップもあった方がいいんじゃないか。でも難しいだろうな。基準があいまいだから。ギャンブルのやめ時に近い。

■世の中ちょっと説明過剰なところがあって、懇切を極めれば伝わる、伝わらないのはこちらの不徳、伝わるまで説明を続ける、みたいな人がいるが、理解は人間関係を含むのでひとりで頑張っても限界がある。引き下がる、離れる、諦めるもコミュニケーションの技術だと思うけれど、やはり難しいか。「ちゃんと説明しなさい」「わかるように話しなさい」と言われ続けてきた人は特に。(5/9午前)