漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

どうせ誰も聞いちゃいないし

■どうもこんにちは。ボランティアスタッフの高橋です。

■7月5日のボードゲーム部の報告です。なんと! ついに! 高橋しかいませんでした!! なので高橋はぬくぬく古畑任三郎を見ていました。楽しかった。

■なるほど、日誌がこれで終われる。でも全然関係ないこと書いちゃおーっと。

■最近思うことがありました。「〇〇さんの立場になって考える」っていうのを安直に使っちゃだめだなって。いや、いいんですよ。なれるやつなら。職業とかなら体験すればいいしね。ただちょっとでも「俺あの人の立場になって考えられてるわー」とか「うんうん、あの人の気持ちわかるよ」みたいなことをかるーくいうのは良くないと思うのです。

■何がきっかけかっていうと、先日学校の先生に「聴覚に障害がある子どもたちにどんな指導をしたら良いのか、勉強会の講師お願いします」って言われて、「じゃあどんなことを知りたいんですか?」って逆に聞き返したら「聴覚に障害がある人の立場になれる指導の仕方が知りたい」って来たわけですよ。いや、別に立場にならなくてよくね?というかそもそものスタートが「私は申し訳ないけどあなたの立場になることはできない。なぜなら難聴じゃないから」じゃないと相手に失礼じゃないか?とか思ったわけです。

■あともう一つ、本当に難聴の人の立場になって考えようと思うなら、話し合い・勉強会の中に難聴の人がいないとだめじゃん。難聴じゃない人たちだけ集まって「さあ難聴の人はこう思うのだ!」って話しても一方通行だと思うのですが。

■ってね、こんなことつらつら書いている割に自分もやっているのです。「〇〇さんの立場になって考えようよ」って。それはこのことばが「相手への敬意」だったり「理解を示したいという主張」だったり「自らの正義感の表出」だったりするわけで、要はそれ言っときゃ「私ちゃんと考えてます」風な展開に持っていける便利ことばなんですよね。

■なので簡単に「〇〇さんの立場になって考えましょうよ」って安直に言う人は俺は警戒します。そういう人こそ他者を乱暴に扱う可能性がある。最終的に〇〇さんを傷つけるかもしれない。

■そんなことを思いながら今日の勉強会に使うレジュメを必死こいて作ってたら日誌が遅れたってわけです。言い訳やっほやっほ。・・・すいませんでしたー!

■では次回のボードゲーム部のお知らせです。予定では7月19日だったのですが、延期することにします。
日時 8月9日 13:00〜
場所 漂着教室
※19:00からイリイチ会もあります。両方何時に来て何時に帰ってもOKです!
それではまたー。