漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

うらららトーチカ燃え

■土曜日の皆既月食はうっすら雲がかかって期待ほど赤くはならなかったが、刻々と月の欠ける様子がよく見えた。そのときから寒いと感じていたが、朝になっても気温は上がらず、おまけに強風で外にいるとどんどん身体が冷える。これが春一番なのかな。違うのかな。

■春になると、少しだけ遠くへ行きたくなる。昨年は倶知安だったが、今年は鵡川町(いや、今は合併してむかわ町か)へ行ってきた。第二次大戦末期、米軍の上陸作戦に備え根室から苫小牧にかけての海岸線に小さな防御基地(トーチカ)がつくられた。粗悪なコンクリートで急造されたこともあり、多くは風雨に浸食され崩れてしまったが、今なお残っているものもある。そのいくつかを見て回ってきた。


■こんなものの中に入って敵が攻めてくるのを待つ。どんな気持ちだったのか想像もつかない。ぼんやり立っているだけだって息苦しいのに。


■結局、米軍の北海道上陸作戦はなく、トーチカも戦闘で使われることはなかった(ソ連の進攻を警戒した米軍が終戦直後に上陸したという記事を読んだ記憶があるのだが見つからない)。帰宅後、厚真の学芸員が書いたコラムを見つけた。中学生の社会科の授業にトーチカを使っているらしい。

 この取り組みの1つとして厚真町では、地元の厚南中学校の先生たちが、社会科の近代史の授業に取り込み、この現地へ生徒と共に見学に来ています。この時、昭和20年7月14日・15日の北海道空襲の際に厚真では、死者3名、負傷者1名の人的被害を被っています。この時の米軍戦闘機による機銃掃射を目撃した方に講師としてご同行頂き、その時の実体験や戦時中のモノ不足、助け合いの生活、勉強をしたくてもできなかった事、戦後の進駐軍との思いでなどをトーチカの前でお話ししてもらっています。お話してくださる方への生徒たちの眼差し、表情は真剣そのもので「初めて知る身近な歴史」に記憶として留めてくれているものと確信しています。

 また私の方からは、トーチカが所在する山林に入る前に生徒たちに沖縄戦の写真パネルを使ってトーチカの説明を行います。「もし、終戦が1年、2年遅かったら、どうなっていたのか。実際に当時の敵対国アメリカ軍の上陸作戦が実施されていたら・・・。」その様な事実を知ったうえで、現地に佇むトーチカを見てもらっています。このトーチカから「沖縄の人たちの苦しみ」を学び、テレビの画面から流れる遠い南の島の出来事ではなく、その背景、歴史を踏まえたうえで、考え感じ取ってもらうことも、子どもたちに伝えるようにしています。
 
厚真町内に残る戦争遺跡「トーチカ群」が伝えるもの

■札幌にもたくさんの戦跡がある。昨年、それらをまとめた本を買ったのだが、誰かに貸したか見当たらない。もう一度手に入れて、あらためて市内を回ってみたい。「身近な歴史」として戦争をとらえるために。(4/6夕)