漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

教育を語ることは

■風邪が治らないー。明日はバンド練習なのにー。明後日は全道のつどいなのにー。

■新聞を読んでいたら、教育関係のニュースがふたつ目に留まった。

【北海道教育大、学長選の教職員投票廃止 国立大で道内初】

北海道教育大(本間謙二学長)が、学長選考の際に行ってきた教職員による「意向投票」について、次期選考から廃止を決めたことが21日、分かった。文部科学省によると、投票などによる教職員の意向聴取を取りやめたのは、全国の86国立大学法人のうち東北大など5法人あるが、道内では初めて。 
道教大は、意向投票を行ってきた学長選考会議が6日に存廃について審議。関係者によると、教員から「廃止は大学の自治を脅かす」との意見が出たが、「学長選考会議の責任と権限の下で主体的に選考することが重要」との意見が大勢で、多数決により廃止を決めたという。近く開く同会議で、関連規約を改める。
(10/22北海道新聞

【35人学級、再び40人に 財務省、「効果ない」と要求へ】

財務省が、公立小学校の1年生で導入されている「35人学級」を見直し、1学級40人体制に戻すよう文部科学省に求める方針を固めたことが22日、分かった。教育上の明確な効果がみられず、別の教育予算や財政再建に財源を振り向けるべきだと主張している。これに対し、文科省は小規模学級できめ細かな指導を目指す流れに逆行すると強く反発しており、2015年度予算編成での調整は難航が予想される。
財務省は27日の財政制度等審議会で見直し案を取り上げる考え。40人学級に戻せば、必要な教職員数が約4千人減り、人件費の国負担分を年間約86億円削減できるとの試算を提示する。
(10/23北海道新聞

■学長選考会議は国立大の独立行政法人移行に合わせて設置された。法人となった大学は研究だけじゃなく、効果的な大学運営も迫られる。そのため外部の人間も含めた選考委員会で適切な人材を選ぶ、ということらしい。これと35人学級を40人学級へ、という話は基本的には同じものだ。いつの間にか、教育を語ることは、金について語ることになってしまった。研究するなら金になるものを。効果の出ないものはとりやめる。少ない費用で大きな効果を得られるものを、そうじゃなければ、さらに費用を削ること。

■ムダを省くのは悪くはない。ただ、研究なり教育なりというものは、ムダの上に積み上がっているものでもある。なぜなら、ほとんどは手探りだからだ。そこで費用対効果が第一の物差しになれば、これまでの縮小再生産しかできないことになる。

■気をつけたいのは、俺も含め、教育≒経済効果になることに反対の人もこの風潮に加担してきたということだ。教育を批判するのに「××はムダだからやめろ」とは言わなかったか。「××なんて勉強しても将来役に立たない」と口にしなかったか。実はどれも効果的、効率的に教育を進めよという言葉になってしまっている。

■だから批判するな、ということではない。ただ、自分の言葉は、こうやって思いもかけないときに考えていたのと正反対の方向から返ってくる、ということは覚えておいた方がいい。最近そんなことを意識することが増えた。ひとつの議論をつめること。あれもこれもとふるい落とさず持っていること。両方のバランスを取っておかないと。

■クラス編成については、2年前の登校拒否・不登校を考える夏の全国大会で寺脇研氏がこんなことを言っていた。なまじ学級の人数を少なくするから、全員に目が行き届いて「おかしなヤツ」が目立つ。クラスの人数は多くて構わない。ただ、授業では少ない方がいい。学級単位で授業をするところに問題がある、と。面白い見解だったので覚えている。メンバーが固定されることで起きる軋轢はある。人数が少なければなお起きるだろう。財務省の方針の根底には、いじめや暴力行為が減っていないという統計がある。そういうとき、こういう小規模学級とはちょっと違う方向からの意見は有効かもしれない。学級単位での行動がほとんどない大学のようなシステムなら、この考えでもうまくいくように思う。小学校ではちょっとわからない。それに、これはこれで「学級文化」がつくるものを無視しているように思うのだが、今度、現職の教員に訊いてみよう。