■佐世保の事件。ああいったことが起こると「かわいそうに」という気持ちでいっぱいになる。殺された子もその周囲も、殺した子もその周囲も、どっちもかわいそうだ。違う道はあったはずなのに。かわいそうという言葉しか出ない。
■長崎は10年前にも少年の起こした事件があった。教育委員会では「命を大切にする教育」を進めていたのだという。それがどんなものなのか俺は詳しく知らないし、ひとつの事件でそれまでの取り組みが全部無意味になるものでもないと思う。ただ、教育はどうしても個人の変化/成長を目指す。それは「本人に問題がある」という理解と相性がいい。
■道徳教育はスローガンに傾く。スローガンは責任を個人にかぶせるやり方だと前に書いた。この事件を受け、個人や家庭に責を負わせる風潮が高まることを懸念している。一本の正しい大きな道をつくることが答ではない。むしろ道を増やすこと。どの道を選んでも行き止まりにならないようにすること。その方が大事なのじゃないか。で、道とは結局、人と場所なのです。あとは時間。
■事件の容貌はこれから明らかになっていくだろう。いろいろな情報が流れ、つられて様々な憶測が飛び交うだろう。10年前の事件で日誌にこう書いた。今回も同じことを思う。
今すべきは、それらしい話で安心することではなく、ざわつく心を抑えたまま事実がわかるまでじっと待つことだ。不安に耐えよう。特に大人は。なぜなら大人だから。作り話に逃げちゃダメ。なぜなら大人だから