■6/15(土)、教育フォーラム「学校に行かなくなった子どもの育ちの場を考える」にパネリストとして参加してきた。主催は恵庭未来の会と恵庭市教育委員会。恵庭市には提案型協働事業という仕組みがあり、市民から企画を募集して共同開催している。不登校についての情報はなかなか届きづらい。行政が関わることで、規模や広報を大きくできる。例えば福岡市は同じ制度を使って、「不登校よりそいネット」という官民合同のネットワークをつくった。北海道でも未来の会が先鞭をつけてくれた。こういった取り組みがもっと広まるといい。
■パネルディスカッションには俺のほかに恵庭の適応指導教室の相談員と、フリースクール利用者の保護者が登壇した。学校外で育つ可能性を考えるのがテーマで、思うところは多々あったのだけれど、うまく説明できなかった。
■人は大人になるまで、いや大人になってからも学び、変わり、成長する。だから社会教育、生涯教育という分野がある。学校教育はその中の一部を取り出し専門化したものだ。ところが、その関係が逆転してしまっている。児童会館で平日日中に子供のためのプログラムが組まれていないのはなぜなのか。学校に行かなくなった途端、全て自前で教育を受けさせねばならなくなるのはなぜなのか。学校教育がほかの仕組みに影響を与えている。
■教育といえば学校教育になってしまうイメージとシステムの貧困さが、不登校を「問題」のままにしているのではないか。学校教育の視点から見れば、学校に来ないことは「問題」だろう。しかし、人の一生という視点からではどうか。不登校という学校教育の問題を解きほぐすには、社会教育の充実が必要だと考える。
■学校に行ってるか行ってないかでは分けない教育が、すでにちゃんとあるわけです。
■前段に話した、フリースクールと不登校はもともと関係ないということも、漂流教室の利用者は学齢期にとどまらないということも、すべてここに繋がる。学校教育の枠内にあるものじゃないのだ、そもそも。
■という話をしたかったのです。でも、散漫になってしまってうまく伝わったかどうか分からない。適応指導教室の指導員は元教師で、「日本の教育は素晴らしく、だから子供を学校に戻すのが適応指導教室の役割」という意見だったが、さもありなんと思う。適応指導教室は、学校教育の問題を学校教育の枠組みで解決しようと設置されたものだ。こういう発想になるだろう。それはそれとして、学校教育以外の枠組みもあるでしょう、例えば社会教育ですね、ということだから、彼とも対立せず話せたはずなのだけれど、あまり噛み合わなかった。
■と、個人的には反省しきりなパネルディスカッションだったのだが、懇親会で教育委員会の人が4人も来てくれたのはよかった。恵庭市教委でメンタルフレンドをするらしい。うまく進めたいなら、ぜひ漂流教室を呼んで話をさせてくれとお願いしておいた。あとは社会教育についてもうちょっと勉強します。