漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

寺子屋とは

ラーメン6/12

■こんにちは。ラーメン好き好き日誌を書いているボランティアスタッフの関井です。

■夏はわりかしラーメンがつらいということに気付いてしまいました。そろそろ冷やし中華始めてくださいといったところです。最近はバイトの帰りにすすきのにある信玄に惹かれつつ、おうちに晩ごはんあるよの葛藤と毎回戦っております。そういえばこないだ訪問帰りに行った手稲のラーメン屋さんも美味しかった!(画像) ひさびさに良き塩を食べたなぁ。

■近況ですが、最近はどうしようもなく、寺子屋が気になります。寺子屋式学習法の生み出す効用なんかも考えてみるわけですが、そもそもの定義として、寺子屋ってなんなのでしょう。子どもが床に座っていれば寺子屋なんですか。日本史専攻でしたがそのへんよくわかりません。寺子屋とは、について勉強したい今日このごろです。そして、現代の中等教育にあの寺子屋の形態を持ち込んだらどうなりますかね。江戸時代の寺子屋は、読み書き計算を主としていました。そのため、寺子屋、と聞くとなんとなく思い浮かぶであろうあの和室に先生がいて、一人の先生に数人と児童が輪を作る、というような形態が成り立っていたのも納得です。初歩的な読み書きそろばんであれば、一人の先生が数人の生徒を見渡しながら教えることも可能かなぁと思うのです。これが、中学レベルの内容になったらどうですかね。因数分解とか、先生一人対生徒数人でうまいこと機能するもんでしょうか。少なくとも一対一の個別指導塾のアルバイトで挫折したじぶん的には、大変だなぁ…と思ってしまいました。そんなこと言ったら40人学級の現代の学校なんか、よく成り立ってるもんだなぁとつくづく思います。(実質成り立ってないのかも。確実に授業についていけない生徒は生まれているわけで。)

■そう考えると、個別じゃない分他の人の意見や考え方も取り入れられ、40人学級よりはそれぞれ個々のノートも見える範囲の寺子屋型は、ちょっとばかしすてきなんじゃないかと心惹かれる今日この頃です。そんな場所が創れたらいいなぁ。