■訪問のあと、ちえりあで行われていた「道民教新春学習会」に参加する。夏の合研は毎年出ているが、それ以外の会に出るのは初めてだ。
■遅れて着いたので、教育大の福井さんの講演は終わっていた。後半は教員三名がそれぞれの経験を話した。暴言を投げつけてくる子供、学級崩壊を起こしたクラスを担任したこと、インターネットを介したいじめ。それらは子供の声にならないメッセージであると捉え、ときには周りと協力しながら、ときには途方に暮れながら、子供を理解しようとした実践が語られた。
■聞きながら、無力さの持つ力ということについて考えていた。誰かに悩みを話したいと思って、さて、どんな人に話すだろう。周囲から孤立してる人、力のない人、そういう人を選ぶということはないか。
■つきあいの多い人だと、誰かに悩みが漏れるかもしれない。行動力のある人だと、勝手に動いて状況をかき回すかもしれない。悩みが悩みのまま保たれ、秘密が秘密のまま保たれるには、聞いてただ困惑するくらいの人の方がいいかもしれない。今回話した三人は、TTで入った退職教諭、臨採、養護教諭。しかも全員女性だ。もちろんたまたまかもしれないが、弱そうだったから、いわゆる「教師」と毛色の違う人だったから出遭ったケースということはないだろうか。(反対に、解決志向の子供なら、どんどん動いてくれそうな先生に話すかもしれない)
■そういや、漂流教室のスタッフが無力さについて書いてたことがあったなあ。
■学習会後の新年会にもずうずうしく参加してきたが、車なので酒が飲めない。ノンアルコールの酒席というのは身体に悪い。