漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

重たいのさ

北海道新聞の今日の社説に不登校のことが書かれていた。

不登校増加 子供の悩み受け止めて(8月26日)


小中学生の不登校増加に歯止めがかからない。
文部科学省の全国学校基本調査によると、昨年度に病気や経済的な理由以外で年間三十日以上休んだ小中学生は全国で約十三万人いた。二年連続で増加している。特に中学生は三十四人に一人が不登校という状況にある。各クラスに一人は、不登校の生徒がいる計算だ。このままでいいはずがない。
不登校のきっかけは「友人関係」「親子関係」「学業の不振」が上位を占めた。「いじめ」も3・5%で前回調査より微増した。 学校、家庭、友人関係など子供をめぐる環境が複雑に絡み合って、「学校に行けない」「行かない」状況をつくっている。
まず考えたいのは、学校に行きたくても行けない事態に追い込まれ、あえいでいる子供たちの苦しみを、どう救うかだ。
登校しても保健室にいるか、特定の授業以外は保健室で過ごす、いわゆる「保健室登校」も増えている。
日本学校保健会の調査では、保健室登校の小学生は、二〇〇六年までの五年間で一・七倍になった。教室に息苦しさを感じ、担任には心を開かない子供たちも、保健室の養護教諭なら、悩みを打ち明けやすいこともあるだろう。
養護教諭が児童・生徒の家庭での虐待やいじめを把握した例は多い。学校の中の退避場所として、保健室の役割を再認識する必要がある。
民間のフリースクールを中心とした学校以外の教育関連施設との協力も広げよう。
フリースクールに通っている児童・生徒でも、保護者と学校の連携が十分に取れているなど一定の条件を満たせば、校長や教育委員会の判断で出席扱いにできることがすでに認められている。学びの場はある程度多様であっていい。
最近は携帯メールによる陰湿ないじめなど、子供間のトラブルが表面に現れにくい状況にある。教師が子供の微妙な変化に素早く気づき、しっかり向き合える体制が必要だ。それには少人数教育の実現が何よりも求められる。文科省は、丁寧な指導のための補助教員導入なども進めるべきだ。
貧困などによる家庭崩壊で不登校になる子供を救うため、本年度から導入された児童相談所などと学校との連携を図るスクールソーシャルワーカー制度の充実も求められる。
十分な教育が受けられない状況を放置しておくことは、社会的格差の固定化につながりかねない。
悩める子供たちの実情に合ったきめ細かな体制づくりに、早急に取り組みたい。

■あれもこれもと総花的に並べた感は否めないが、不登校の原因探しではなく取るべき支援を論じてるのは評価できる。フリースクールについても触れられている。「フリースクールと協力せよ」と社説が述べるのは初めてじゃないか。出来れば「学びの場」の「多様」性を確保するために金銭的にも援助を、という話をして欲しかったが、それは高望み過ぎるか。

■「悩める子供たちの実情に合ったきめ細かな体制づくりに、早急に取り組みたい」というまとめに異論はない。しかし何か引っかかる。それは何だと二度三度読み返して気がついた。暗いのだ、内容が。楽しくない。

■「あえいでいる子供たちの苦しみ」「担任には心を開かない子供たち」「悩める子供たち」。学校に行けない/行かない子供たちは、とにかく悩み苦しんでるらしい。そういう子もいるだろう。だが、そうじゃない子もいるだろう。「明るい不登校」なんて無理話には組しないが、「苦しんでる子を救おう」という不登校対策にも賛同できない。

■またはこう問うことも出来る。学校に行ってる子たちは悩み苦しんではいないのか。それとも学校に来ない子たちの支援体制を組めれば、そうじゃない子の悩みも拾えるということなのか。

不登校の原因に、またはその行く末に問題を見つけることは出来る。実際、深刻な問題だったりもする。それはそれで動かなきゃいけない。でも、全てが「問題」を「解決」するためじゃなくったっていいはずだ。毎日を楽しく暮らすためにどうするか、という方向から考えたっていいんじゃないの。何かして欲しいと思うときは苦しんでるときだけなのか。手を貸すのは相手が大変なときだけなのか。もっと簡単なものだったりしないのか。子供が気軽に口に出来るような、そんなサポートじゃダメなのかな。(学校に行ってると案外そうなってたりするんじゃないかな。どーだろう)

■というのは、結局、問題解決って大人の都合だったりするからだ。大人の都合もあっていいが、それで塗り潰しちゃ「子供たちの実情」には届かない。


■明日の「漂着教室」は13時からです。