漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

青春デンデケデケデケ

■あ、もうすぐ訪問が終わるなと気づく瞬間がある。数年前、高校生の利用者と話しているときもそんなことがあった。中学時代はほとんど学校へ行かず、通信制高校に進学した。校風が合ったのか次第に登校日数が増え、生徒会にも入った。ある日、学校の帰り道に駅の待合室で同じ生徒会の友人と気づいたら三時間も話し込んでいたという。それを聞いて、近く訪問は終わると感じた。

■社会性だの集団で過ごす体験だのに興味はない。子供〜青年期に経験しておかねばならないことなんてありゃしないとうそぶいているが、それでもどこかでこいつだけはあってほしいと思っている。どれだ。あれだ。「青春」。

■青春とはなにか。問われると難しい。発達段階にギャングエイジ、思春期・青年期やモラトリアム期はあっても青春は出てこない。発達は西洋だし青春は五行思想なので当たり前といえば当たり前だが、単なる「若く未熟な時代」とも違う、「悩み迷いあがくころ」とも違う、無謀さとか挫折とかほれたとかはれたとか1・2・3ジャンプとか暴れまくってる情熱とかいろいろあるけど、どれもピンとこない。違うんだ、青春ってもっとなんかしら。

■それでも言葉にするなら「オンタイム」かな。状況や会話や喜びや悩みや、すべてが「今この瞬間の自分」とぴったり重なる。うっかりまわりを忘れるほどに。気づいたら三時間も話してたぐらいに。


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時間が本当にもう本当に
止まればいいのにな
二人だけで青空のベンチで
最高潮の時に
ザ・ハイロウズ『青春』)

■オンタイムは案外難しい。話を聞いているようで頭の中ではその先を考えていたり、悩んでいるようで過去の出来事にとらわれていたりする。不登校という「問題」ばかり取り沙汰され、そこで時間が固定されてしまった子供や保護者をよく見た。自分は動いている。相手も動いている。それがある瞬間にぴたりと合う。もしかすると人に限らないのかもしれない。映画でも音楽でも本でもスポーツでも雷にうたれたような瞬間はある。


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■きっと、懊悩や煩悶にだってオンタイムはある。上に書いたこととかぶるけど、ちゃんと今の自分の悩みになっているものとそうじゃないものがあるんじゃないか。

■こういうものは偶然重なるから楽しい。自分のリズムがあること。がむしゃらさ。空回り。条件はいくつかありそうだ。まわりがよく見えるとオンタイムの興奮は減る。知らず合わせにいってしまう。先を見通す。傍観する。歳を重ねると青春と縁遠くなるなのはそんなところが原因か。