漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

設立者の思いが出る

■陽が出てる間は暖かいけど、朝晩はほんと冷えるね。

■いろいろ先延ばしのことを片づけよう。先ずは9/24(土)にあった教育フォーラムの報告を。演題は「不登校・引きこもりを考える-ありのままを受けとめ、多様なニーズに応えるかかわり-」。当日のツイートをまとめたものが下のリンク先で読める。中身はそれでだいたい分かると思うので、ここでは俺の感じたことを書く。
9/24のまとめ→http://togetter.com/li/192795

■元不登校経験者3名によるシンポジウムは、個々の話よりベクトルの違いが鮮明になったのが面白かった。札幌自由が丘出身のAくんは、その後高校へ進み、今は大学生になっている。不登校時代もかなり過去のことになっているようだった。うっかりすると、札幌自由が丘学園という中学校へ行った気になっているかもしれない。一方、東京シューレ出身の二人はそれぞれfonteの編集をしたり、「不登校の子どもの権利宣言」に関わったり、今も「不登校」を強く意識する世界で生きている。

■実はどちらも彼ら個人の「不登校」という経験は小さくなる。個人の内部で縮小するか、外部で縮小するかの違いだ。俺の好みは内部で小さくする方だが、それはそれで、「制度不備による不登校」という側面から目をそらすことになりかねない。どちらがどう、という話ではなく、なぜベクトルの差が出るかということに俺は興味がある。

■この違いは恐らく、札幌自由が丘と東京シューレの性格の違いから来ている。札幌自由が丘では「不登校」をほとんど意識せずに暮らせる。通信制の高等部もあり、多くがそのまま「進学」する。かたや東京シューレは、不登校が入学要件の葛飾シューレがあったり、不登校・登校拒否を考える夏の全国合宿に毎回企画段階から参加したり、先に挙げた「不登校の子どもの権利宣言」を草稿したり、「不登校」に関わる機会が多い。

■さらに言えば、両団体の違いはそのまま創設者の違いに依るのではないか。「理想の教育」を求め教師を辞めてフリースクールを始めた亀貝さんと、自身の子が不登校になったことがきっかけで、「親の会」を経てフリースクールを立ち上げた奥地さんと。20年経っても設立者の思いがこういう形で見える。

■じゃあ、20年経った漂流教室はどうなるのか。先日、学会発表でハッと気づいたことがある。漂流教室を貫くある手法について。しかし、それはまた次回(強い引きをつくって終わり)。