漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

うまアジ

■前日しこんだアジの一夜干しが、相馬氏の手によっておいしいご飯に変わっていた。これはうまいよ。おかわりしちゃったもんな。

■午後と夕方からで研修二件。夜、漂流教室のお友達ハイロウくんが来て仲魔交換など。

■「スコシ」は動物のお医者さんに出てくるよ。

■市教委と民間団体との懇談会は1日午後に開催。出席したのは漂流教室以外に、札幌自由が丘・どろんこクラブ・フリースクールそら。自由が丘の亀貝さんが書いたこちらも参照してほしい。

■この懇談会を行う目的は札幌市教委からすると「不登校児童生徒への取組について、民間施設関係団体代表者の理解を得るとともに、民間施設に通う児童生徒の状況や学校と民間施設との連携について、民間施設関係団体代表者との意見交流を行う」ということだそうだ。ということで、不登校児童生徒の現状と取組について話を聞いて、その後質疑雑談という感じだった。

■現状については毎年毎年実数が出ない札幌市の不登校児童生徒数を、質問して初めて聞くことができた。平成20年度で小学生262名、中学生1397名計1659名だそうな。19年度が合計で1555名だったと記憶しているので(キレのいい数字だったから記憶していた)、100名超の増加だ。そして、不登校となった理由についての報告で「発達障害」について話題が出るというのが、道教委の時でも出てくる最近流行の行政との懇談会でのパターン。

■この「不登校になる理由」というやつだが、見立ての構図がぼくとまるっと違うので話が噛み合わない感がある。学校の持っている原因圧力が個人にかかってきた時に、個人が持つ圧力への耐性の違いによって現れる適応状態の一つが不登校であるというのが、ぼくの見立てだ。だから、「発達障害」「いじめ」「虐待」「友人関係」etcといった「理由が複合して起こるもの」という見立てとは違う。「理由」と呼ばれているものは、個人の持つ圧力耐性を形作る要素であるが「理由」ではない。それを解消することで変化するのは、個人の耐性でしかないとぼくは考えている。

■確かに、現場で解決しなければならない困りの一つが、学校・教師がどのように発達障害を持つ人と関わるかということだ。そして、それについて対応を考える時浮かび上がってくるのが、学校がどれくらい学ぶ人主体でいられるかということだ。何故なら、彼らの特性に合わせたコミュニケーションをこちらが取らなければ一緒に何かすることが難しいというのが、発達障害の特性だからだ。メガネをかけたり補聴器をつけたりするような、障害を持っている人への対応で可能になるコミュニケーションというのはとても少ない(SSTとかあるけれども)。だから、学校・教師に必要なことは、医療的知識や福祉の機関で行われている対応を学ぶことではない。学校での問題はコミュニケーションをどう取るかで、それについてはそこにいる人たちが一番解決策に繋がる知識と経験を持っているはずだ。後は自分達の柔軟さを発揮できるかどうかが、鍵じゃないだろうか。

■後、「へえ」と思ったのは、市教委に相談電話があってフリースクールを知りたいという時には連絡先を案内していますという話。教育委員会から聞きましたという相談電話はまだ無いがそのうちあるかも。それなら、把握しているリストを作ってサイトに載せればいいのにと思ったり。(5日)