漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

2009年合同教研全道集会(その2)

■「不登校・登校拒否・高校中退」分科会は二日とも10人程度の参加。現職教員は4名で、そのうち2名は高等養護学校に勤めていた。レポートは2本でこちらは現職教員のものはなし。もともとこの分科会は特別分科会として始まり、教員以外の参加者が多いことが特徴だがそれにしても少ない。

■分科会の基調報告にはこうある。

  1. この分科会の役割
    1. 不登校・登校拒否の子どもと保護者の悩みなど話し合える
    2. 高校中退は「なぜ」を考える(報告は少ない)
    3. 地域の「組織」、「支援団体」等の交流と学びあい
    4. 明日への活力を自分のものに地域・学園・家庭へ戻る

役割に「教員」の文字がない。これでは教員は得るものがないのかと思うだろう。得るものがない上に批判されたりすれば来なくなるのは当たり前で、この辺、不登校の仕組と似ている。動機がないのに苦労を我慢することは辛い。「不登校の原因は様々」なのではなく、「きっかけが様々」で、端から見て些細なきっかけで来なくなるのは動機のなさではないかと、改めて考え直しているところだ。別段新しい視点なわけじゃないが。

童夢学習センターの実平さんからは昨年に続き「全道のつどい」での青年の活躍が報告された。参加だけでなく、企画段階から関わる「参画」に至った経緯と、当事者アンケートの考察が記されている。そこから見えるのは「経験の伝達の場」および「安心できる場」の機能だ。それゆえ参加者は新しいことにも挑戦できる。挑戦は達成感や充実感を呼ぶ。そういう好連鎖を生む場所に、今「青年のつどい」はなっているようだ。

■別に青年に限ったことではない。保護者にも教員にも、もちろんフリースクールスタッフにもそういう関係はあった方がいい。それが叶わなくて、ボンヤリした閉塞感を生んでいるのかもしれない。孤立、という言葉が参加者の発言の端々に見られた。

■高教組相談センターからの報告も、やはり「孤立」を主題としたものだった。学校だけじゃなく労働問題の相談も持ち込まれる。周囲に話せる人がいない。

■とすれば、この分科会くらいは“どの立場の人も安心して話せる”場所になってもいいのかもしれない。元々いろんな人が参加している分科会だ。情報交換と安心を目的にしてもいいかと、司会(俺)は敢えて話をまとめずにいた。結果、総花的にはっきりしないまま終わったが、一定の満足は得られたのではと思う。しかし、いつまでもそれではいけない。前にも書いたが、レポートではなく議題を決め話し合うやり方もある。様々な参加者が集うことも利点だ。そのためには組んずほぐれつになっている「不登校問題」を切り分ける必要がある。それで上述の「考え直しているところ」に繋がる。さて、どうなるやら。