漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

おやすみ

疲労が溜まっている時は休みが貴重なり。自分の好きなことだけに没頭できる時間を過ごす。ということで、本日はファイターズのオープン戦を見たり、DS(といっても最近はシレン専用機)で遊んだり、くるくるお寿司を食べたり。

■新川に新しく出来たコーチャンフォーJ.P.ホーガンの「造物主の掟」というSFを買ってきた。引っ越しのどさくさで無くしてからずっと読みたいと思っていた本だ。ファーストコンタクトものだが、「心霊術師」と機械の生命体のコンタクトという設定が面白い。機械が生命体になっていく過程がこれまた面白い。読んだことある人、いますかね。

■13日の日誌より。

しかし俺は、「漂流教室」を学校に代わる選択肢のひとつとは思っていない。なぜなら、学校に通いつつ利用してる子もたくさんいるからだ(そしてフリースクールに通いながら利用する子もいる)。また「学びの場」とも思ってない。子供の成長は多様だ。だから時に応じて多様な大人がいた方が良い。「漂流教室」は子供の成長の多様さから、「学びの場」ではなく、「関わる人」の多様さを導く。

相馬氏は子供の成長が多様であるが故に、場と人のそれぞれが多様であることを指摘しているが、ぼくはその基盤として時間が重要であることを漂流教室の活動を通じて痛感している。場も人も、子供が出会うものが単一だとしても、コンタクトが継続している中で子供自身の多様性により子供も場・人も相互に変化していく。そして、その変化を感じることが成長の実感になり、自信につながり、また次の変化への力になる。成長に合わせた場や人を完璧に用意するのは無理な話だ。子供が居る場と会っている相手がお互いの変化を感じる程度のスパンを過ごすために、そこそこ居心地の良い時間となるようにすることが、大人にできる用意だと思う。

■以上を、下の「ルー語変換」でルー大柴調に変換して読んでみると面白いよ。
ルー語変換