■白石区民センターにて、不登校がらみ行事三連発の日です。山田はシンポジウムの司会進行と相談会がメイン。
■不登校シンポジウムは、漂流教室が以前訪問していたK君と函館圏フリースクール「スマイル」の庄司さんのそれぞれに話をしてもらった。どちらも20分の時間のうち半分を紹介、後半を語り合いに使った。
■K君は小学校の早いうちから不登校で、登校について親と衝突することは無く、不登校の期間を過ごしていた。その間に漂流教室を親御さんから紹介され、訪問を受けていた。中学卒業後も高校進学はしなかったが、バイトを始めてみたところ、元々苦手であった漢字の読み書きが必要であると実感し、漂流教室に相談。夜間中学を紹介され通い始める。夜間中学に四年通っている間に免許を取得などしている。その後、学習状況を見た夜間中学講師から高校進学を勧められ、今年、定時制高校に入学した。友人関係は、不登校の期間を通じてずっとあり、免許を取って行動範囲も広がっている。
■K君の状況で興味深いのは、「中学も出たし、何かしなきゃなー」→バイト、「漢字がわからなきゃやばい」→夜間中学のように、自分のリアルなニーズによって行動が引き起こされていること。そして、ロケットの一段目二段目のように、一つの支援から次の支援に繋がっていくこと。ニーズと支援が上手に組み合わさる下地として、登校刺激や進学への期待のような負荷がかかることのない生活があったことも留意しておくべきことだろう。年齢によって区切られ用意されている学校システムには乗っかっていないが、子供は自分の状況を受容されていると実感できる状況の中だと、変化・成長するという実例だった。会場に来た人たちは保護者が多く、質疑応答で今の対応が良いのかをK君に確認できたのは少し助けになっただろうか。
■「スマイル」の庄司さんは、2003年にチーフーキリスト教学園という学習支援をメインにしたフリースクールで不登校と関わり始めた。彼が話の中で出していたのは、不登校を受け止める視点が札幌と地方では違うという話だった。不登校に対する地域の目がおかしなものを見るようなきついものだったり家族が悪者扱いされるという状況の中で、そうしたことから自由に活動できる場所が必要であるという思いから、2012年に居場所的なフリースクール「スマイル」を立ち上げた。この都会と地方の不登校に対する意識・社会資源の差というのは、特に北海道の不登校を考える際に常に意識に留める必要があることだと思う。後の質疑応答でも、日高方面から来ていた方が居場所や親の繋がりを作る難しさを語っていたし、漂流教室も後志方面でそれを感じてきた。
■質疑応答をしている中で、庄司さんと自分で共通だなと思ったのは、人は苦労の有無と関係なく大きくなり独り立ちしていくのだという、変化への信頼感だ。変化への信頼感は、関わらなくても大丈夫という距離を生み出すことができる。「見守る」というのは、ひねもす見つめ続けることではない。それは監視だ。関わらないことが関わりには必要という、一見矛盾していることを本気でやらねばならない。また、庄司さんは「苦労すると大人になるという思い込みがある」と語っていた。苦労をしたから大人になったのではなく、大人になる間に苦労があったというべきだろう。もし苦労をすると成長するというなら、不登校という苦労を続けても成長するはずで、それを解消しようというのは矛盾している。自分が成長の途中で味わった苦労を次世代にもわかってほしいというなら、それを語ることで十分だろう。
■シンポジウムが終わった後の不登校相談会は、会場に来ていた人が引き続き相談してくれていた。シンポジウムの話をベースに、相談できていたと思う。今年度の相談会はこれで終了。しかし、この後中三生は進路がらみで悩ましい時期が来るんだよな。それぞれのフリースクールや親の会に、悩みを持つ人がさらっと繋がることのできる情報をどう提供するかも考えなきゃね。(日曜日)