漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

結構動いた金曜日

■相馬氏所用のため、午前中漂着教室番。来室する子供が三人。午後には更に二人。途中からは相馬氏も横山さんも加わり随分とにぎやかになった。とは言っても笑いの絶えない会話が続くという感じではなく、話したい人は話すし、漫画を読んでいたい人は読む、パズルをしたい人はするという感じだ。

■ぼくは途中抜けて訪問へ。「さよなら絶望先生」をネタに話したり、カードゲームに興じたり。マジック・ザ・ギャザリングは本当に面白いのに何故流行らないのか。

■漂着教室に戻った後、訪問先の子供の担任より電話あり。40分ほど学校での状況について教えてもらったり、訪問していて気づいたことやそこから学校で変えることのできることなどを話し合った。先生達は自分のできることが何かよく考えて行動するし、できる範囲で観察もしている。ただ惜しいかな、それが子供や親の持っている生き辛さとニーズとすれ違っているし、各々の思うことを先生達の中で話し合う時間と機会が余りにも少ないようだ。先生達の中で語り合うだけで随分と状況は変わるだろうになぁ、と思った。自分達の苦労を自分達で分かち合い余裕を生み出すことができない故に、苦労の種を生み出す人へ風当たりが強くなっているように思う。

■ということを考えた後、上田市長と語り合う会へ参加。札幌自由が丘の亀貝さんが音頭をとって開いたものだけあって、参加者はフリースクール関係者と発達障害関連の親の会の人など総勢12名。ちょうど今日の北海道新聞で市長選に出馬予定の二人のフリースクールやいじめに対する見解が載っていたで、それが大きなネタになった。また、高等養護学校への大幅な出願者増や子供の権利条例も話題として上った。フリースクールへの支援については、それ以前に不登校について教育委員会の体制が整っていないことが問題であるとのこと。

■実は去年の秋口に市教委から電話があり、うちの在籍人数を聞いてきたことがあった。突然の電話だったので、誰が何の目的で調べているのか聞いていくと、回答者がどんどん上司になっていき、ついには「実は市長からの要請で」とわかったことがあった。その時の電話は、今現在対応をとられていない不登校の児童生徒がどれくらいいるのか知りたかったからだと市長から直に聞くことができた。結局そこでわかったのは、市教委でもそれは把握できていないということだという。基本的な資料となる数すら把握できていない市教委の不登校対応に、さらにフリースクールへの支援という課題をおっかぶせても、彼らの手に余るだろうことは容易に想像がつく。

■市長が最後に語っていたのは、学校が地域社会の拠点となり花を植える運動などを行っていくことで世代・地域の人的交流を図っていきたいということ。しかし、これはどうかと思う。なぜなら、前段で述べたように、今学校の先生達に必要なものは子供の成長をゆっくりと見守り、先生達で子供のことを語り合う時間と機会だと思うからだ。子供が社会と触れあうのは学校を通してでなくてよいとぼくは考える。というよりも、触れあう主体である子供自身が何を通じて社会に接するかを選んでいることに気づくべきだ。それは携帯電話やPCを通じてのネットであったり、マスコミであったり、塾であったり、地域や家族の中での行事であったりする。学校以外で社会に触れてきた子供がどのように育っているのかを、六年あるいは三年という時間をかけて観察し、授業を通じて知的好奇心を拡大させたり社会を生きていくのに楽になる知恵を見せていくのが学校の役割だと思う。

■イベントを通じて子供を導きたいという自分の理想に酔って、ああせいこうせいと語る大人達はたくさんいる。しかし、先生達がイベントの準備に汲々として子供を見る余裕を無くしてしまう状況に追い込むのはおかしい。現実が見えないまま理想を押しつけても、そこにたどり着く道は苦労ばかりだろう。もしかするとたどり着けないかもしれない。たとえて言うなら、相手の財布にいくらあるか知らないままに見聞広めに海外へ行けと人に命令するようなものだ。

■などなど思いつつ、会が終わってから相馬氏とご飯。ぐだらぐだらと語りあう。いいものです。