漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

選択の自由

■サイトのトップページに月間の予定表をつけた。カレンダー形式になっていて、予定をクリックすると別窓で詳細が出る仕組だ。うまく作動しないなど不都合があったらご連絡を。このままだと木に竹を接いだようだから、サイトのデザイン変えなくちゃな。

■所属メーリングリストで、教育の選択の話をちょこちょこ投稿している。選択肢を与えずして「選択の自由」を言うのは欺瞞だろう、という意味のことを書きながら、選ぶ側の問題ということも考える。

■いくら選択肢が用意されても、自分にぴったりなものは既存の選択肢の中には存在しない。求めるものは得られない。俺はそう考えている。自分に合う居場所がない(職がないでも何でも可)と嘆いてる人を見ると、当たり前だろう、とどこか冷めた目で見てしまう。そんなもん、あるわきゃないのだ。既存の選択肢が自分用のオーダーメイドなわけない。どこまで行っても「自分のような人」に合うものであって、「自分」に合うものではない。出来合いのもので手を打つか、あつらえにするか。あつらえるなら、自分で用意するしかない。

■これは、選択肢の不足や個々の選択肢が抱える問題を不問にする、という意味ではない。それはそれで要求し、また質せばいい。また、既存の選択肢で満足することをくさすものでもない。誰かの用意したものばかり当てにして、自分の求めるものがないと不満を訴えても仕方がない、ということだ。用意されたものに「自分」に合うものはないのだから。「自分のような人」に合うもので良しとするか、それがイヤなら自分で作る。

■と、わざわざ言葉激しく言う必要もないんだけどさ。ずっと、何かこう、腹ふくるる心持ちがしててさ。年齢能力おかれた状況その他一切無視で書いているが、心の隅にちょいと留めておいてもらえれば、と思う。

■やや話はずれて、むかし「♪職業選択の自由ハハハン」と歌うCMがあったが、「提示された選択肢を全部拒否する」「勝手に選択肢を作る」が揃って初めて「選択の自由」になるんじゃないかな。実際、「職業選択の自由」に起業は含まれる。教育では、選択する人と選択肢を作る人が別なので、このまま当てはめるとねじれが出てしまうのだが(保護者が選択する、ということにするとねじれは消える)、「勝手に選択肢を作る」が認められていないために、展開が頭打ちになっているという面はあるだろう。

■訪問は数ヶ月ぶりに会うところがあって、ちょっと緊張。夜は月例ミーティング。実習や卒論準備などで欠席者が多く、少々寂しい会議となった。