漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

「選択」の前提

■一週間前になりますが、2月22日の北海道新聞教育面にフリースクールおよびサドベリースクールが取り上げられました。

漂流教室をはじめたころ、フリースクールに関する記事といえば「不登校の子の受け皿」「学校に行けなくなった子の回復の場所」というものがほとんどでした。そう考えると今回の特集の見出し「役割広げるフリースクール」「『不登校受け入れ』から『学びの場に』」には隔世の感があります。世のなか変わったなあ。安倍首相の東京シューレ訪問からの一連の流れも影響しているでしょう。

■一方で、ある基準をクリアしていなければ、そもそも「選択」の権利すらないという事実もあります。「学校以外の学びの場」と言ったところで、ないところでは選べない。気づいてはいました。「フリースクールがあったらいいんですが」という声はずっと以前からあった。漂流教室のスタートは2002年です。その頃はまだ経済的な余裕があった。選んだらいい、つくったらいいで進んでたら15年が経って、いつの間にかそんな余力はなくなっていました。

■「子供のニーズに応えた多様な教育の選択肢を」という考え自体は間違ってないと思います。でも、「選択」の前提を問わないと、うっかり「消費」に取り込まれてしまう。見通しが甘かったと言わざるを得ません。

■最近は、社会教育主事講習などを通じて、平日日中の子供の居場所づくりを模索しています。官民は関係ない。子供にとって便利で使い勝手のいいところならなんでもいい。「選択肢」ではなく子供の「社会参加」を焦点にした理屈ですが、これだって今は見えていない「余裕」を前提にしてないとは限りません。選択の理屈を切り捨てることへの抵抗もあります。「学校設立の自由」や「教育選択の自由」はやはり大事だし。今回の記事でも、自分がフリースペース畑なものだから、新しい学校をつくりたい、という人たちの声はあまり紹介していない。さいわいサドベリースクールも載ったのでバランスはとれましたが。自問自答の日々です

■結論はありません。記事をきっかけにこれまでを振り返ってみました。大局的に見れば、この15年で状況は良くなっていると思います。一方で、あいまいにしていた言葉や理屈のツケが回ってきている。「フリースクール」という大雑把なくくりの乗り物は好きなんだけど、そのまま進むにはちょっと限界が来ているね。例の法案でそれがはっきりしました。そういう意味ではよかった。(2/29午後)