漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

あちち

■暑く薄曇りなのに日差しを感じる妙な日。五月中旬だというのに夏か。日光アレルギーの相馬氏は大丈夫だったろうか。訪問二件。

■数日来続いた議論は収束の方向に向かっておりますな。ところで、A渡辺さんのコメント

この意見に各論として、「対象がLDの子ども」で、「学ぶ対象が器質的に困難さがある学習項目」と付け加えたら話は違って、報われない苦労を子どもに強いる結果となるのが目に見えているので私は不同意です。自信を回復する「学び」は他に求めるべきだと。

ですが、基本的には同意します。ただ、思考実験では、子供自身が他の点から学びにたいする自信を回復させて行った後に器質的に困難さがある学習事項も何とかならないかと思いはじめた時を想像してみたりします。この場合は人が自分の限界を受け入れていくことにつき合うことになるのでしょうが、イギリスなんかで行われているLDの子への個別学習計画ではどうなっているのか、調べてみたいですね。

■夜、帰りの車の中で教育基本法についての討論が放送されている中、またしても「教育現場では権利の主張が大きくなっていて、これを認めていたら万人の万人に対する闘争が…」などという勘違い意見が飛び出しているなぁと思った。ということで、帰ってから権利について見ていたらwikipediaにこんな項目を見つけた。

claim(狭義の権利、請求権)
XがYに対して一定の行為を請求でき、YはXに対してそれを履行しなければならない場合を想定したものであり、その場合におけるXが有するものを狭義の権利(又は請求権)といい、Yが有するものを義務という。この場合、義務がなければ権利も存在しない関係にある。なお、ここでいう「請求権」はドイツ私法学における Anspruch の訳語としての請求権とは異なるものである。

債権とは、人の人に対する権利、すなわち「特定の者に対して」特定の行為を主張できる権利のことをいう。日常用語では金銭給付を求めうる権利という意味に限定して用いられることもあるが、法学上は金銭給付に限定されない。

なるほど、今まで権利と義務は一体ではないと考えていたが、一体である部分もあるのだなぁ。注意して考えていかなきゃと思った次第。

■と、日誌を書いてから、映画鑑賞。エミール・クストリッツァの最新作「ライフ・イズ・ミラクル」を見た。「アンダーグラウンド」もそうだったが、この監督の作品は長い。でも、それだけのことはある。92年から始まるボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の最中に、敵対する陣営の間で恋に落ちる男女の話とパンフレットのように書くと、一見ラブストーリーのように思えるが、実は違う。「アンダーグラウンド」とも似ていて、これは壮大な「おはなし」だ。戦い(敢えて戦争とは言わない)、情報化社会が作りだす「現実」と市井の人の日常の関係、家族愛と恋愛、友人関係、とにかく盛りだくさんな内容が、メッセージというよりも「こんなことってあるよなぁ」と納得してしまう暖かい視線で描かれていく。人生は悲劇ばかりでもないし喜劇ばかりでもない。リアルタイムにすべてが混ざり合いながら進んでいる。周囲に翻弄されているように見えながら、そこを泳いでいる人間がいる。見終わった後に、こんな話だったよとまとめるよりも、たくさん受け取ったものがありましたありがとうと言いたい気分になる映画です。音楽と動物たちも最高にいい味を出して、この叙事詩を作っている。こないだ、ハナ肇主演・山田洋次監督の「馬鹿が戦車(タンク)でやってくる」を見ていいなと思ったが、あれも民話風の話だった。最近どうも、こういうのに弱いらしい。