■山田の日誌にもあるが、田中康雄さんの講演でひさしぶりに斎藤次郎の名前を聞いた。一度話を聞いたことがある。その後、大麻所持で逮捕されめっきり見かけなくなった。
と思えば、『アオイホノオ』に出てきて驚いたことがある。新人コミック大賞の選評で主人公の作品をほめ、「知らん…。この…俺を一番ほめてくれている斎藤次郎さん…。いったい何者なのだ…。漫画界とどういうつながりを持った人なのだ!?」と主人公を困惑させていた。wikipediaには「日本の教育評論家、漫画評論家、漫画原作者」とある。『共犯幻想』の原作者らしい。え、そうだった!? 全然知らなかった。うちにある『共犯幻想』には真崎守の名前しかないよ。
■学生運動に揺れた時代。落城寸前の校舎に立てこもる高校生4名は、それぞれに「残らざるを得なかった」事情があった。相手の苦しみに自身を見つけ、自身の苦しみに相手を見つけた4人は「共犯者」となる。
■退学の知らせを受けた登場人物のひとりは、その手紙には誤字があるという。「退学」ではなく「胎学」。自分たちはあのときバリケードの学校を受胎した。内に生まれた「広場」は制度に浸食されることはない。
■そもそも学校とはそういうものなのかもしれない。北星余市高校の開校60周年記念誌『学校ってなんだ?』には、卒業してなお残る「自分にとっての北星余市」のエピソードが数多く収録されている。クラスで職員室で寮で、同級生と先輩後輩と教師と寮の管理人ととことん語って生まれたそれは、『共犯幻想』にどこか通じるようにも思える。
■斎藤次郎による学校機能の区分「託児」「サロン」「学習」のうち、「サロン」と「学習」はどこまで分けられるのだろう。集団が一体となり学ぶ。そのように教師は授業を組む。人と人との響きあいに教育の本質がある。「教育はアート」と言ったのは大田堯だったか。一方で授業は良質な科学でなければならないと、これは北海道自由が丘の鈴木秀一だったか。
■人と人との響きも目から鱗が落ちるような体験もなくなれば、学校へ足が向かなくなるのも道理かもしれない。「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」速報が出た。2023年度の全国の不登校児童生徒数は346,482人。前年度よりおよそ47,000人増。北海道は14,361人でおよそ2,000人増、札幌は5,715人でおよそ900人増。札幌市の伸びがやや高い。札幌市の中学生の不登校割合は8.8%で、11.3人にひとりが不登校になる。ひとクラス3人。まあまあそんなところじゃないだろうか。