漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

黒い裂け目

■焦りについて、いまの自分を基準に考えても仕方ないのかもしれない。もっともダラダラしていた時期――大学をさぼり家にも帰らず麻雀と飲酒で過ごしていた日々はどうだったか。夜、布団のなかで当時の様子を思い返してみた。

■目をつぶってそのころの映像を思い浮かべるのだが、ときどき黒い裂け目が見える。もちろん実際にそんなものはない。回想を拒否する「なにか」がそんな形であらわれるんだろう。その証拠に、裂け目を越えて思い出すのが難しいのだ。思い返したくないものがある。

■後悔とか恥ずかしさとか、いろいろな感情が混じっているんだろうが、根本は「恐怖」な気がする。この先どうなるんだろうかという恐怖。おかしいのは、いまのままではダメだとわかっているのに、なぜか変える気にならなかったことだ。ここまでダメな自分を引っ張ってきたのに、ここで方向転換しては、これまでの月日がムダになる。そんなよくわからない経済感覚に尻が重くなっていた。といって現状維持では先がなく、強烈な力で状況がひっくり返るのをどこかで期待していた気がする。そんなものは来ないとわかっていつつ。

宮台真司が『終わりなき日常を生きろ』と言い出したころには俺のなかではどこか整理がついていて、「やれることをやるしかないなあ」とある意味開き直っていた。こう書くと気持ちの問題のようだが、やることをやろうとしても身体が動かないってことはある。「やれること」のハードルをどこに置くかは結構重要で、かつ難しい。

■開き直れたきっかけはなんだったのかな。橋本治の存在は大きい。就職して、全然つかいものにならなかった経験も影響している。なんだかんだで奥の奥には『やっぱりおおかみ』もありそうだ。しょうがないのだ。自分は自分なんだから、そのように生きるしかない。

■そう。自分は自分でしかないので、こうやって自身の経験を元に思考しても限界がある。昨日、ニュース番組でコロナ後遺症の特集をしていたが、実際に頭が働かず身体が動かないのに、周囲からは気のせいと言われる苦しみが語られていた。自分に引きつけて考えつつ、自分にはわかり得ないものがあるとわきまえる。でも、いつか思い当たるかもと留保もする。結局、いつもおなじところに帰ってきてしまう。

■いまはこう書いているけれど、黒い裂け目は別になくなったわけじゃない。なにかの拍子、それこそ加齢や病気なんかでも、ふっと帰ってくるだろう。そのときにこんな悟ったような話ができるか。どうなるだろうね。