漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

1000

■つい先日、『ONE PIECE』のアニメが放送1000回を迎えたとニュースになっていましたが、漂流通信もこのたび1000号を迎えました。おなじ海が舞台といっても、ひとつなぎの財宝を求めグランドラインを旅するルフィたちと、ずーっと浮かんでいるだけの漂流男では活動の幅が違うわけですが、でも彼だって上陸した島で住民に石を投げつけられたり、ようやくたどり着いた故郷で妻が別の男性と暮らしているのを知ったり、手足が伸びたり、頭から木が生えたり、エイリアンに卵を産みつけられたり、それなりにいろいろあったんだ。

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漂流通信 - Google ドライブ

■2002年6月からの記録なので、読むといろいろおもしろい。あれ、こんなニュースあったっけなんて思ったり。教育をめぐる議論は思いつきのように現れては消えていく。自分もついそれに慣れて忘れたままにしていると、水面下では息の長い計画が進んでいたりなんかしてね。個別のデータ化もそのひとつだろう。不登校の文脈では2015年に突然出てきた個別学習計画だけど、特別支援教育ではもっと前から出ていた。そのときはなにかいいものに思えたのは、視野が狭かったせいであり、思考の射程が短かったからだろう。個別対応が企業参入にも自己責任論にも都合のいい理屈とは気づいていなかった。もっとも、ここはまだ整理がついていない。とば口に立ったところだ。

■以前の通信を読んでいたら、教研集会で無駄にかましていたらしい。「教育を語る上で嫌いな言葉がみっつ。個性、自由、自分らしさ」とかいきがった発言をしていたようだ。理由は書いていないので、なぜ嫌いなのかはわからない。想像するに、当時の「そこで止まってしまう言葉」だったんじゃないかな。それをつかえばなにか言った気になる。そういう言葉が嫌いなのはいまもむかしも変わらない。そうね。いまなら「自立、選択、多様性」かな。あー、でも「支援」もあるなー。

■こうやって嫌いな言葉から追っていくのは楽しいかもしれない。きっと、そのときそのときのトレンドが見えるだろう。