■子供が学校に行かない。家から出ない。この先どうするつもりだと大人は聞く。ちゃんと考えているかと責める。
■考えていないわけではない。だが、答えて相手が納得するとも思えない。よけい問い詰められて窮するに決まっている。
■いい加減な人間ならテキトーなことを言って済ませる。将来なんてどうせ誰も保証できない。なにを言ったってウソにはならない。責任感の強い子ほど「ちゃんと考え」て答えに詰まる。「いまの自分でも請け合えること」を探し、見つからなくて途方に暮れる。
■いま、「やれる」と明言できるものはない。発言の担保を要求されたらあとは自分自身をベットするしかない。「ホームレスになるからいい」「どうせ死ぬのでかまわない」。捨て鉢に見えるセリフは裏返った誠実さであったりする。
■大人だって、ファイナルアンサーを求めているわけではない。急になにができるとも思ってない。先を見ていることさえわかればいいのだ。したいのは詰問ではなく対話のはずだが、延々と続く質問は次第に「取り調べ」の様相を帯びる。思った通りの答えが得られず、じれて説教に走ったりする。
■将来の話は風呂敷を広げるところから始まる。できるできないは関係ない。現状を無視しない「将来」は、「いま」の縮小再生産にしかならない。じゃあ、まわりの人の役割は風呂敷を敷く場所を確保することでしょう。そうわかってはいるのだが、ついつい自分も「でも、それだとさ」とか「もっとこうしないと」なんて言葉でスペースを狭めてしまう。将来の話は本当に難しい。