漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

訪問の不思議

■雨降り。黄砂のドロドロが流れてほっとする。稚内は雪だとか。天気予報サイトによっては明日の札幌も雪マークが出ているが本当か? まあ、まだ4月なので降ってもおかしくはない。

■午前中はボランティアスタッフの送迎。なにをしているかわかりづらいと評判の漂流教室の訪問。目的なくただ毎週会うって言われてもねえ。それでなにがどうなるのと不思議に思うのは人情だ。わかりやすく伝えられないかなと図解してみたのだが、いまいちピンとこない。わかりづらいものは見せ方を変えたところでわかりづらいんだな。本質がそうなんだからしかたない。

■「会ってどうなるか」ではない。むしろ、会った瞬間にもう済んでいる。「会う」ってそういうことじゃないですか。会って、なんかむずむずしたり、イラッとしたり、楽しかったり。毎回、それを繰り返して、自分のなかに記憶が蓄積されていって。ふと悩みを話してみて、そのときの反応や感覚もやっぱり蓄積されて。

■十分に経験がたまると逆転が起きる。この感覚は前の訪問でもあった。確か、あのときはちょっと気まずい感じで終わってしまった。じゃあ、ちょっとかかわり方を変えようか。一方で、それでも訪問は終わらず関係が続いているのも知っている。だから、もしまた気まずくなっても多分大丈夫。

■そうやって自分を確認し、関係を試すのが訪問の醍醐味で、目的やら結果やらは不要なのです。一緒になにかする必要もないし、仲良くならなくてもいい。玄関を開けたあと本人は奥に引っ込んじゃって、ふたりが別々の部屋で一時間過ごすなんてケースもあった。それでも訪問は続いて、気づけば子供が学校に行きだしたりしている。訪問との因果関係はわからない。まあ、子供の勝手な変化の可能性が高いけれど。

■考えれば考えるほど不思議でおもしろい。ボランティアスタッフも訪問先の子もそれを味わってくれたらいいな。