漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

漂流教室を貫く柱

■日本臨床教育学会での発表内容。

漂流教室の訪問活動は「長く続ける」ことを重視している。スタッフ募集の要件も料金体系も「長く続ける」ことを前提に組まれている。実際、長期に渡る利用が多い。三年以上の利用がおよそ三割を占める。

■長く続けるとどうなるか。ボランティアスタッフと元利用者に聴き取り調査をした。まず訪問の目的が消える。目的が消えるのに従って関係が良好になる。「何かする/される」という役割から解放されることは、お互いの存在そのものを認めることになるからだ。

■そうして訪問が日常化すると、それが一週間の目印になる。訪問に向けて生活を調整する。訪問に向けて一週間の出来事を整理する。結果、時間軸の獲得に繋がる。現在、過去、未来が渾然となっている状態から、それぞれを正しく時間軸に納め、自由に行き来できるようになる。

■訪問の時間は、恐らく様々なtry & errorに満ちている。お互いに、少しずついろんなことを試している。そのうちのひとつが、またはいくつかが作用して、変化が起きる。それは確率の問題で、飽くなき挑戦からしか導くことは出来ない。長期の訪問は、そういう「きっかけ」を保障するものでもある。

■ざっとこういった報告をした。北海道臨床教育学会での報告をもう少し掘り下げた。概ね好評。実践の中から見えたことが、教育や心理の理論と見事に重なっていることに驚嘆したらしい。(ということは目新しい発見はなかったということでもある。ちょっと悔しい)

■特にボランティアスタッフへの聴き取りが好評で、よくここまで内省し言語化している。どうやってスタッフと関わってるのか、と質問された。どうもこうもとにかく会ってよく話すだけです、と答えたところでハッとした。

■結局、漂流教室の活動は「会って→話して→考えて」の積み重ねなんじゃないだろうか。スタッフと訪問先も、スタッフ同士も、俺とスタッフも、俺と山田も、どこで切っても「会って→話して→考えて」の関係になっている。そりゃ訪問だって長期にわたるはずだ。愚直なまでに「会って→話して→考えて」を繰り返す。それが漂流教室を貫く大きな柱なのじゃないかと気がついた。

■こうなったのは恐らく、漂流教室を始める前の一年と始めた直後の一年に原因がある。どんなフリースクールにするか。理念は。形態は。料金は。ひたすら話し合った準備期間(当時は3人だった)と、始めたはいいが右も左も分からず、ボランティアスタッフと共に一週間に一度集まって検討を重ねた最初の一年と。あの時間が今の漂流教室をつくったのだと思う。

■だから、会わなくなったら、話さなくなったら、考えなくなったら、きっと漂流教室の活動は終わる。気持ちの引き締まる思いがする。(10/9夕)