漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

ととのう

■昨夜のなごり雪はもうすっかりとけた。部屋にさしこむ陽射しが暖かく気持ちいい。スヤスヤ…。

■ボランティアスタッフが担当している訪問が一件終了した。送迎もしていたので、終えてみてどうだったか帰り道に感想を聞いてみた。役に立ったのか立たなかったのか、意味があったのかなかったのかよくわからないという、ある意味予想通りの返答。ほとんどのスタッフがそういう感想を述べる。それでも一年以上続くんだから、本当に訪問とは不思議なものだ。

■あえて「意味」や「価値」から距離を置こうとしているところはある。どうやってもそこから逃れられないのはわかっている。それでも距離を置こうともがくことで、「自分にとっての意味」や「相手にとっての意味」ではなく、「ふたりのあいだにあるもの」=「かかわり」に近づけるのじゃないか。相手の役に立とうというのはよくない。自分の行動の理由を相手に負わせるのはずるい。漂流教室のスタンスがそうだから、なおさらわかりづらいところもあるだろう。

■週に一回一時間会ってなにをしているのか。答は「なにもしていない」。本当にただ会いに行っているだけだからだ。事前の計画もない。今後の方針もない。ただ行って帰ってくる。そのうち、それが日常になる。

■なにかを変えるためではない。支えるためでもない。では、いったいなんなのかと話すうち、「整える」という単語が出た。別になくてもかまわないが、あることで、生活が少し整う。改善ではない。あくまで調整。リズムであったり感情であったり思考であったりが、週に一回一時間の訪問で他人と会って話すことで、なんとなく形になる。

■で、そんな訪問が長期にわたって続くのは、おそらくスタッフも「整う」からじゃないかと思うのだ。訪問がなんだったのか、件のスタッフは振り返って文章にするらしい。楽しみに待っている。