■いつもボランティアで行っている、ホームレスの方々への夜回りを主催している北海道労働と福祉を考える会の年次総会があった。その総会資料に寄稿した「私と労福会」を掲載。
■自分はいくつかの仕事をしているワーキングプアの身である。メインの仕事は「訪問と居場所 漂流教室」というちょっとショッキングな名前のNPO法人だ。不登校やひきこもりの人を中心に、人付き合いが苦手なタイプの人のところへ週一回一時間くらいボランティアの人に訪問してもらうという事業がやっていることの一つ。もう一つは、すすきのの外れあたりにある労福会の物資置き場も入っている市民活動プラザ星園という場所にフリースペース兼事務所を作っている。ここには誰が来てもいい。どちらの事業も、会う人と何かを一緒にするということは無い。目的も目標も無く、ただ会う時間を積み重ねて繋がりを作り、その中で相手が望むことが出てくればそれに付き合っていくことにしている。と書くと、なんだかすごそうなことをしているようだが、毎回会うたび一時間話やゲーム、散歩なんかをしている。相手やこちらが寝てしまうようなこともある。こんな活動をして今年で20年だ。
■さて、いつもの仕事じゃ食っちゃ寝してダラダラ何もせずに過ごしてばかりなので、自分の誕生日に少しくらい世の中のお役に立つことをしようと考え労福会が請け負っている1月の人数調査(毎年大体誕生日近くなのだ)に参加したのが数年前のこと。労福会メンバーとはそれ以外でも会う機会飲む機会があり、2、3年人数調査をしたところで毎週の夜回りも行ってみるかと決めたのが2018年の4月だった。
■参加して気づいたのは、労福会のやり方が自分のやっているいつもの仕事と似ているなということだ。いや、食っちゃ寝してダラダラ何もしていないということではない。労福会はいつでも携帯電話で相談を受けられるようにしているし、コロナ禍にも対応して給付金受給に向けて動いていたし、関わった人のアフターケアなら葬式まであげるほどだ。どんな活動でも活動が活発になると、「より何かの役に立つこと、誰かのためになることをしよう」という善意の押し付けの罠にハマる人が出てくるものだ。例えば、漂流教室が関わることの多い不登校支援界隈なら、支援は勉強や学校に戻ることになりがちだ。労福会が関わるホームレス支援界隈なら、生活保護を受給するなりして路上脱出することを支援と呼ぶことが多いだろう。しかし、労福会にはそれがほとんど見当たらない。
■これはなぜか。漂流教室と似ているということで自分のやってきたことに引きつけて考えると、社会の仕組みから外れた人たちへの関わりは、仕組みに戻すことでは無く、社会の仕組みの原子たるミニマルな人間関係の復活から始まるという視点があるのではないかと思う。夜回りをしていて会う人との、なんでも無い15分ほどの話しが積み重なっていくうちに積み重なり生まれる関係性とその中で見えてくるお互いのこと(相手を見るだけではなく、自分って…という振り返りがとても大事に思う)。それは信頼になり、一緒に何かができるようになる。
■みたいな話を、なみすけで山内代表としたなあ。ああ、早いとこまた以前のような状況に戻って欲しいものです。今年中になるかなあ。