漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

子ども基本法を巡る動きに

■いじめ、児童虐待、社会的養護施設からの自立、子供の貧困、ヤングケアラー、不登校…子供に関する問題を一言でくくってしまえる便利な言葉があります。「子どもの権利」です。確かにこれらは日本における子供の人連侵害問題であり、子どもの権利条約を批准している国として国連からも対処するよう勧告を受けており、法令や機関を設置する必要があります。ということで、最近「子ども基本法」という法律を作ろうという動きが始まっていて、「子どもの権利を保障する法律および制度に関する研究会」(以下研究会)がサイトを作っています。
kodomokihonhou.jp
日本財団がバックにあり、ネットで署名活動をしたりサイトを作っていて、自分の知り合いも何人か呼びかけ人に加わっています。研究会の提言はpdfにまとまっています。しかし、そこで言われていることには、どうも両手を挙げて賛成という感じになれない。

■子供の権利は擁護せねばならないことだという大前提があるのに、何故これにはひっかかりを覚えるのか。なかなか言葉にならなかったところ、子どもについての法律が必要だということについて、日弁連でも提言と法案を出しているのを見つけました。
www.nichibenren.or.jp
提言を読み比べると、研究会が取る方法論は最初に書いたような問題を解決するために子供の権利を根拠として使うというものだと思いました。一方、日弁連が取る方法論は、子供の権利を保障し人権を擁護する法律を作って諸問題を解決していこうというものです。似ているようで、これが全然違う。

■研究会の方では中心になるものは子供を巡る人権侵害をどう解決するかです。ですから、提言の中でも社会問題についての分析が細かく行われます。その問題を解決することが子供の権利擁護であるという前提がある。いわば権利擁護は社会問題解決の名目として使われているとも言えるでしょう。確かに人権侵害の解決は立法の大きなきっかけになるもので、必要なことです。しかし、法律は条約にある通り子供の人権全般を網羅するものでなければいけないはずです。この法律を作るなら、権利侵害を解決するために立法するという方法論ではなく、条約に基づいて権利擁護を実現する法を作るという理念から出てくるものであるべきです。

■ここで勘違いしそうなのが「権利擁護を実現する」という物言いです。子供の権利は、冒頭に書いたような虐待やいじめ等今の日本で解決しなければならないと多くの人が頭を悩ませている問題だけではなく、生活上の様々なシーンで立ち上ってくるものです。条約はそのために種々の権利を網羅しています。「具体的な権利侵害の状況」というのが、自分たちが問題だと思うことに限られないような法律が必要なのです。例えば「不登校に対して学校がハラスメントしてくる」という相談なら人権侵害として対応するが「ゲームで遊んでいるといつも親がやめろと言ってくる」という相談には対応しないような仕組みができてしまう法律ではいけないわけです。法律に基づいて行われる施策や機関では、子供が日々の生活の中でちょっと気になったことの中に人権と関わることが潜んでいるという視点を子供も大人も持てる必要があります。

■そうした法律を目指すものとして、日弁連の法案は評価できます。日弁連の提言では差別の禁止・子供の最善の利益の考慮・生命生存発達の保障・意見の尊重の一般原則以外の条約項目についても目を配り、権利擁護を全面に打ち出しています。条約に則った法律と運用がなされるように仕組みを作ろうとしているのも特徴ですし、文言としてはっきりと人格権の保障、意見表明支援機関の設置義務、身体的精神的暴力の禁止を書いてあります。また法案で成長保障のところに休息や遊びの権利を法案に盛り込んでいるところは、フリースクール的なことをしている者としては見逃せないところです。

■どちらの提言でも人権擁護の仕組みを作ることを盛り込んでいます。研究会では「子どもコミッショナー」、日弁連では「子どもの権利擁護委員会」となります。研究会が「権利擁護」という言葉を使わず「子どもコミッショナー」という言葉で権利を守る機関を作ろうとしていることは、細かい言葉の使い方ですが、権利意識が社会問題解決したいという意識に乗っ取られている現れに感じます。社会問題の解決が人権擁護に先立つことを、人権擁護を名目とした機関を作ることにより、あたかも人権擁護を優先しているように見せているのではないか。

■こうした研究会の方法論には既視感があります。それは教育機会確保法を巡る動きです。あの法律は、フリースクールが自分たちの抱える問題を解決するために、教育を受ける権利を中心とした不登校を巡る人権を根拠にして法律を作ろうとしました。その結果、人権が保障する自由よりも不登校に関する諸問題を解決する秩序が優先される方向での立法を目指し、成立過程の中でパワーゲームが起きました。それは一手目に、原則であり達成目標であるはずの権利擁護を手段として使うようにしたことに原因があります。今回の子ども基本法を巡る動きも、研究会の提言には同様の危険性があるでしょう。良きことの中に潜む毒に気づかず物事が進むことを危惧しています。(日曜日)