■朝のテレビに宮本浩次が出ていて家を出るのが遅れた。ほんと売れてるな。むかしからのファンとしては嬉しいが反動が怖くもあり。ドキドキするよ。
■宮本の「Romance」が気になりつつ、What's Love?の「温故知新」を聴く。昭和歌謡をスカバージョンでカバー。運転しながら聴くと楽しい。
■襟裳の春はなにもない春らしいが、漂流教室もずいぶん「ない」ものをウリにしてきた。カリキュラムがない。年齢制限がない。不登校かどうかは問わない。障害、疾病の有無も関係ない。行事がない。入会金ない。設備費ない。教材費ない。フリースペースの利用料もない。だからお金もないと、これは定番のオチ。漂流教室はなにもないフリースクールです。いや、フリースクールでもない。
北の街ではもう 悲しみを暖炉で
燃やしはじめてるらしい
理由のわからないことで 悩んでいるうち
老いぼれてしまうから
黙りとおした 歳月を ひろい集めて 暖めあおう
日々の暮らしはいやでも やってくるけど
静かに笑ってしまおう
いじけることだけが 生きることだと
飼い馴らしすぎたので
身構えながら 話すなんて ああおくびょう なんだよね
■歌詞もいいよね。襟裳の春は、悲しさやわずらわしさなんて暖炉で燃やしてなくなってしまったと、自分やまわりにけりを付けた春なんだな。子供らが動き出すときと、どことなく似ている。
■最後の「寒い友だちが訪ねてきたよ/遠慮はいらないから暖まってゆきなよ」はフリースペースを念頭に置けば利用者に向かって言う言葉になる。「よく来たね。とりあえず上がってくつろいでよ」と。それが訪問では一転、利用者が迎える立場になる。暖まらせてもらうのはこっちだ。
■利用者といいつつホストでもある、支援者のようで客でもある。このヘンテコな関係はなかなか得がたいものだと思うのです。ふっと武装が解けるというか、立場がフラットになるというか。真冬、暖かい部屋に通された瞬間のふわっと弛緩した感覚は、他人と会うときの心構えに応用できると思う。