漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

欠席か休息か

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■はじめにフィクションだと断りがあるが、描いているのは学校の先生で、担任の負担と胸中は実際こんな感じなんだろう。自分も逃げ出したくなるくらい追い詰められて、どうして子供の状況と重ねてみることをしないのかなとか、いろいろ思うことはあるけれど、それはこっちが神様の視点にいるからで、渦中はそんな余裕もないに違いない。

■それより、まったく当たり前なんだけれど、先生にとって生徒が「休む」とは「欠席」のことなんだと思った。おなじ「休む」を親の会やフリースクールでは「休息」の意味で使う。「欠席」と「休息」とで、そりゃ話があうわけがない。「個々の不登校児童生徒の休養の必要性を踏まえ」という教育機会確保法の一文が評価されたのもむべなるかな。

■ところで子供は「休む」をどんな意味で使っているのか。多少の解放感はあるやもしれぬ。「休息」は、特に初期だと少なそうだ。それよりは「拒否」「拒絶」だろうか。または、すべきことをしていない「罪悪感」や、なにごともなしていないという「無為」や。それでフリースクールは、「そのままでかまわない」とか「無理をする必要はない」といった言葉を用い、拒絶に正当性を与え、罪悪感を軽減させて「休息」へ誘う。

■というところで出てくるのが「休息」とはなにか、ということだ。身体を横たえていれば休息なのか。リラックスというが、それはどんな状態を指すのか。ただ休んでいても、すべきことをしていない焦りは消えないのではないか。

■自分が休みの日になにをしているか考える。まず掃除や洗濯、食材の買い出しといった生活の維持や準備がある。あとは遊びや勉強など、自分の趣味、興味に充てる時間。文字通り身体を休める「骨休め」。あとは、まわりの一切から自分を切り離す「OFF」の時間がある。さらに、完全にひとりの状態のOFFと、心やすい人と一緒にくつろいでいるOFFとにわけられる。おそらく一番重要で、一番難しいのがOFFの時間で、なにかやり残したり気になることがあると切り離しが困難になる。体調が悪くてもそうだ。それに比べると趣味の時間は、少しくらい減ってもそれほど問題ない。

■一週間のなかに一時間くらい無風状態の時間をつくる。漂着教室に来ているときくらい、周囲と切り離された世界にする。目指しているところはそうズレていないと思うのだけど、他人の内面までは扱えず、自分を省みてあれこれ考えている次第。