漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

その時の自分

■今更ながらツイッターを始めました。この間、いつもアニメの話をする人が誤って育児の写真を挙げていて、「アカウント間違えました!」というコメントと共にすぐその写真は消されたんだけど、皆意外と自分を使い分けているんだと思いました。

SNS以外でもそうだよなと思います。アカウント名じゃないけど、私は仕事をしている時は「茂木沙也加」だし、子どもの母親をしているときは「瀧澤斗真の母」なんです(関係ないけどこの言い方いつも保育園に電話する時に言うんだけどもの凄く違和感)。そして「瀧澤沙也加」もいます。茂木沙也加と瀧澤沙也加はあまり変わらないけど、全く一緒ではないかな。やっぱりどこかで使い分けている。あ、あとゲームをしているときは「ヨモギ」という名前はよく使います。(名前の中に「モギ」が隠れていて、お気に入り)

■「学校にいる時の自分」や「家にいる時の自分」、「好きな人(嫌いな人)といる時の自分」「年上(年下)の人といる時の自分」など、皆、無意識に自分を使い分けているんだろうなと思います。そして気づかないうちにだんだんとそれに疲弊してしまってる人も多いんじゃないかなと思いました。機械のようにポチッとボタンを押して切り替えられたら楽なのにね。意識的に自分を使い分けてる場合はいいんだけど、無意識に使い分けていると疲れる気がする。ちなみに私は「瀧澤沙也加」から「瀧澤斗真の母」になると疲れます。無理やりモードを変えているような感じ。でもそんな色々な自分を全部含めてすべて「自分」なんだよなぁ。

■そういえば。中学に入学したばかりの頃、学校にいる時の自分と、家にいる時の自分が違いすぎて、どっちが本当の自分かわからなくなって、辛くなった時期がありました。私って一体全体何者なの!?と思い悩みました。でもわりとすぐに学校で素が出せるようになってきて、家にいる時と対して変わらなく過ごせるようになって「学校にいる時の自分」は消滅したので忘れてました。あの頃の私にとって「学校にいる時の自分」は自分じゃないみたいで、無理やり「学校にいる自分」を演じていたのが辛かったみたいです。でもそんなあなたもまるっと全部含めてあなたなんだよ、とアラサーになった私は中学生の私に言ってあげたい。そう思い悩むのは、皆、一緒。