■人の判別がちょっとどうかというくらいできない。それで映画を観てもわりに難儀している。
■先日観た「アメリカの友人」なら、デニス・ホッパーとジェラール・ブランの見分けがつかない。帽子をかぶっているうちはいいが脱がれたらお手上げだ。
■一番好きな映画はもう30年くらい「殺人に関する短いフィルム」なんだけど、映画のできがいいのはもちろんとして、登場人物が少なくて間違いようがないという理由も、もしかしたらあるかもしれない。殺す人、殺される人、弁護士の三人しかいない。しかも被害者はすぐ殺されていなくなるから実質、犯人と弁護士だけだ。そういえば、おなじ監督の「愛に関する短いフィルム」も覗く男、覗かれる女、老母しかいないや。
■で、ふと考えた。なに恐怖症と呼べばいいのか、「もうひとり自分がいる」という想像に根源的な恐怖を感じる。昨日観た「トライアングル」は怖かったー。何度も現れる自分。自分が自分を殺すループ。これってひょっとして識別能力の低さも影響しているんだろうか。俺の把握している世界はかなり曖昧だ。目の前の相手が誰なのか確信が持てない。裏返せば、相手だって自分と会っているつもりで「もうひとりの自分」と会っているのかもしれない。そんな存在の不安があったりして。
■またさ、「相馬に似た人見つけた」って話をよく聞くんですよ。こわいぜ。