漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

訪問を終えて

■初めて訪問が終わった日のことを書きあぐね、月曜になってしまった。

■正確には二件目の訪問終わりの話になる。漂流教室を始めて最初の訪問は、一度行ったきりで終わりになった。焦りから不用意に相手のテリトリーに踏み込み怒りを買い、そのまま終了となった。今回書くのはその次に決まった訪問先。初めて円満に終わった訪問先のことだ。

■いつものように一緒にゲームをして過ごし、帰ろうと玄関で靴をはいたところで、お母さんに呼びとめられた。その瞬間「あ、来たな」と思った。予感はあった。どのキャラクターを使うか、いつもは真っ先に自分が決めるのに、今日に限って俺に譲ってくれた。三回に一回は勝たせてくれた。おやつにケーキが出た。「いつものように」と書いたが、実際はいつもとはちょっとずつ違っていた。

■「同い年の友達がほしいと言い出しまして」。困惑したような嬉しいような顔でお母さんは言った。「それで相談して別のフリースクールへ行くことにしました」「突然ですが、相馬さんの訪問は今日で最後ということに」。なんと返事をしたかは覚えていない。そうなんだ、きっと楽しいよ、くらいのことを言ったんじゃないかと思う。

■車に乗りエンジンをかけ夕方の町を帰路につく。アクセルを踏んでいる感覚が薄い。もう来週からはこの道を通らない。ゆるく長い坂を登りきったら目の前にびっくりするくらい大きな夕日があらわれた。車のなかが真っ赤に染まって、思わず「わーっ」と声をあげたら、急に涙があふれてきた。さみしいのでもない。悲しいのでもない。嬉し涙でもない。そもそも泣くほど感極まった感じがない。心は妙に冷静で、涙も夕日で赤いんだろうか、血涙を流しているように見えないか、なんて考えている。ただ涙だけがとまらない。ドライアイなのに。

■それが2002年の11月。半年に満たない訪問だった。それから何件も訪問の終わりを経験した。あれきり涙したことはないが、終わった直後独特の感覚はいまもある。からっとした喪失感。腰に手を当てて「あーあ。終わっちゃった」とつぶやく。見わたす限りの建物が全部崩れて、遠く地平線が見えるようなあの感覚は、ほかでは経験したことがない。(4/23夜)