漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

動く

大寒波襲来。ロシアのサハ共和国では気温が-65℃まで下がり、歩いていた人が凍死したらしい。-65℃! いったいどんな世界なのか。そんな気温で自動車をはじめ工業製品は動くのか。野生動物はいったいどうしているんだろう。どんな暖房を使っているのか。真冬日続きの札幌だが、このニュース以来、ぜんぜん寒くない気がしてきた。-10℃だって、サハに比べたら55℃も高いのだ。55℃の風呂なんて熱くて入れないよ。

■さて、遅ればせながら、ポルト連続市民講座「子ども支援における支援者の在り方を考える」の感想を、そのあとに観た美術展とまぜこぜにして書く。

■講座のあと、滑り込みで「北海道・東北アールブリュット展」を観てきた。絵が動いている。ただの幾何学模様が、蛍光ペンで描かれた点が、食べ物の名前が、繰り返し繰り返し描かれる。そのなかに濃淡があり、ゆらぎがある。うねりが起き、リズムが生まれる。軽やかなもの、重々しいもの。力強いもの、やわらかなもの。それぞれに違うリズムがある。

■市民講座のシンポジウムで「生きづらさ」の話題になった。家庭の経済状況の違いからまわりの子と話が合わない。自分だけおせちを知らない。絵の具がなくなったことを言い出せない。「まわりと違う」という違和感は、ぶつかるたび、ひっそりと壁を生む。ひとつひとつは些細なエピソードだが、世の大半は些事からなる。気づけば自分のまわりは壁だらけで、すっかり窮屈になっている。壁に阻まれ身動きできない状態を「生きづらさ」と呼ぶのではないか。「生きる」とは「動く」ことだと改めて思う(『困難』と『生きづらさ』の違いについての話が出たが、『困難』には動けるケースもあるのが違うんじゃないかな)

■大変そうな様子に気づいて声をかけてくれる先生がいたり、自由に校長室を使わせてくれる校長がいたり、学校以外の場所と出会ったりで、彼らは少し動ける余地を取り戻す。それでおそらくいま、ここにいる。

■アールブリュット展に行くたび、これらの作品はどうやってここに来たのだろうと想像する。レシートの裏に描き連ねた絵を誰かが見つけた。ハッとして、続けられる環境(場所、画材、時間など)を整えた。会場に数メートルにおよぶ東京タワーの絵があった。誰かが紙をつぎ足し、描くスペースを用意している。こうして美術館で観覧できるのは、そういう人たちのおかげでもある。大事なのは気づいてくれる人と環境で、「生きづらさ」もアールブリュットも同じなのかと思った。第二部で登壇した田中康雄さんはそれを「一緒に生きている人」と表現した。「そばにいること」が「ケア」であり、専門性の重要さは認めながら、知識はときに「自由に語らせる」ことを阻害するとも言った。自身も大学を離れ、臨床医として、「子ども当人や家族、あるいは関係者が日々を『丁寧に生きる(Be careful)』こと」を目指してかかわっている。

■おまけ。気づく人とスペースを提供する人のほかに、美術展ではもうひとつ大事な役割をする人がいる。見せ方を考える人。どこに、どんな形で展示するか。作品数はいくつにするか。紹介をなんて書くか。額装は。ライティングは。今回の講座はその観点が不足していたように思う。自分にも覚えがあるので自戒を込めて言うが、自分が面白いと思う人をあつめて話をさせても、自分以外には面白くないし伝わらない。田中さんがシンポジウムでの発言を拾って、きれいに額装してくれたので形になったが、本来は企画者がすべきことだった。