漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

千葉で話した

■日曜日、会場に集まったのは70人以上の方々。これだけの前で話すのは久しぶりなので若干緊張。そして、用意したレジュメを一時間以内に終わらせられるかもドキドキ。話すことを考えたら、結構な量になったのだ。

■「不登校・ひきこもり~生きづらさによりそうには」というタイトルをもらって最初に考えたのは、不登校とひきこもりを並列させるのはなぜかというところ。当事者的視点からすれば、繋がりは薄い。大体、不登校は学齢期の間だけの問題であり、ひきこもりは35歳を超える平均年齢からみても若者の問題ともいえない。しかし、社会的には二つを並列する視線が蔓延している。どちらも減らすべき問題として語られるし、当事者の生活や心を可視化するように支援や対策が行われる。この社会的視線が家族や支援者といった第三者に内面化されて、当事者に投げかけられることが多い。普段の日々の流れにおいては、何となく上手く行っている時間が多くてそれなりに過ごすことができているのに、何かのきっかけで社会的視線が「親の思い」「支援の手」として投げかけられると途端に生きづらさが増す。この時大事なことは、当事者に加えてその視線を投げかけた第三者も生きづらさを感じるというところだ。双方「社会から求められることができていない」ということに苦しむ。ということで、いつもの何気ないなんでもない時間を大事にして、自分の中にある社会的視線に敏感になっておくと寄り添いやすいかもよ、という話をした。その後に漂流教室的訪問のモデルとして、坂岡くんの日誌を挙げた。

■会場からは10枚を超える質問用紙が寄せられ、その後のシンポジウムのパネラーと共に質問に答えた。中には高校生からも。答えられない質問やまだ聞きたいことはツイッターFacebookで、と話せるようになったのは世の中の進歩だね。

■月曜日、元々あった予定が無くなったので、飛行機の時間まで映画を観て秋葉原で買い物をして蕎麦を食べて過ごし、その後帰札。猫の口が怪我をしているようで、ご飯をちゃんと食べられなくなっているようだ。(火曜日)