■急に寒い。道行く人も長袖の上着を着ている。一気に秋なのかしら。
■昨日の会議で出た、ある町内会の事例について。「地域で子供を守ろう」というスローガンのもと、朝、地域住民が持ち回りで通学路に立ち、登校する児童生徒を見守る。見守りに立つ大人は子供らとハイタッチで挨拶。さらに、児童生徒の顔を覚え、数日顔を見かけない子がいたら、「あの子はどうしたのか」と学校に照会をかける。学校を休みがちな子供の家へ近所の大人が出向くこともある。
■学校はどうしてもかかわる期間が限られる。学校の外に、ずっと自分を知っていてくれる他者がいる重要さはわかる。ところで、これは「他者」なのか? この町内会はもう十何年もこの取り組みをしているという。それで、たとえばこの地域の不登校は減ったのだろうか。俺が子供でここに住んでいたら、絶対に通学路は歩かない。ハイタッチなんてまっぴらごめんだ。でも、そうやって避けていると、今度は家にやって来られるかもしれない。もうずいぶん前にこんな記事を書いた。子供を守るどころか、追い詰めるように思うのだが。
■もうひとつ不思議だったのが、進行担当の市教委職員がPTA協議会の会長だけ「様」をつけて呼んでいたこと。「保護者様」とも言っていたから、教育委員会にとって保護者はそういう対象なんだな。過度な敬意はつまはじきと似ているけれども。
■プラスの行動はあいまいな言葉で、マイナスの行動は具体的な言葉で話す、という幼稚園・こども園長会会長の話はおもしろかった。お手伝いをしてくれたら「えらいね」、新しいことに挑戦したら「すごいね」と抽象的な言葉で伝える。一方で、手を出したようなときは「ダメだよ」ではなく「叩いちゃったね」。「意地悪しちゃったね」ではなく「おもちゃを貸さなかったね」。いじめ対策の面倒くささは、「いじめ」という言葉のあいまいさにある。いじめではなく暴力と言えと以前に書いたことがある。それについて、どこからが暴力なのかがわからないというレスがついて、具体的に語ることが大事となったのだった。幼稚園児への対応が実はいじめ防止になるのかもしれない。「いじめ」という言葉を解体するという形で。