漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

教育機会確保法の見直しを巡って

■毎週木曜日の味噌汁デイ。いつも持ってくる鰹節を忘れて、漂着にある魚粉と昆布にコンビニで買ったナメコを使って作ったよ。そして、長年お世話になった無線ルーターが寿命を迎えた木曜日です。なむなむ。

■さて、ほぼ一週間前になりますが、7/7土曜日に「多様な学び保障法を実現する会」の総会とイベントがあったので、東京に行ってきました。「普通」教育機会確保法の見直しを来年に控え「現場から見える変化と今後の課題」というタイトルで現状について話そうというイベントでした。今回は「普通」というところを随分強調していたのが不思議でしたが、帰ってきてから相馬と話したら「夜間中学はそこを推している」との由。そこを意識してのことでしょうか。

■確保法成立後の公民連携の成果や変化として、千葉県でのフリースクール議連結成や横浜の公設民営型フリースクールの開設、各地のフリースクールと行政の協議会の動きなどを主催者側は報告していました。ただ、報告後のシンポジウムで登壇した人たちからは、未だに確保法についての認知度が低いことや問題行動ではないと変化するはずの不登校の認識が変わっていないことなどが報告され、主催者側が提起する課題はこのあたりの話になっていました。ちょっと面白かったのは、シンポジウムの中で横浜シュタイナー学園の人が、従来のフリースクールを「独立型フリースクール」と呼び、学校復帰を目指すようなフリースクールを「支援型フリースクール」と分けて話していたことです。「フリースクール」という言葉の中身がはっきりしないのに区分してどうするのだろうと思います。

■こうした報告を通じて全体として主催者側が訴えていたことは、未だにフリースクールが公的に認められることと言えるでしょう。フリースクールへの経済的支援を求めることからスタートした教育機会確保法ですが、目指すものが成立途中で変わってしまい、法律ができてもまだ経済的支援を求める活動を続けています。法律の周知徹底とフリースクールの認知を高める活動も、最終的にはそこに行きつくためのもので、そのための方便としての認知度アップを求め続けているわけです。理念法として制定されたからどう活用するかを考えねばならないというのはこの法律を推進している人から良く聞く論ですが、活用即ち経済的支援を受けることのできる活動を形にするために理念があるとも言えます。しかし、この法律の周知徹底や認知度を高める行為は、自縄自縛に陥る危険性をはらんでいます。

■「不登校をしている児童生徒の社会的自立を支援する」という理念を法律として定めたおかげで、まずこの法律はほとんど不登校児童生徒に関する法律ということになってしまいました(他に夜間中学を使う人も入ります)。この法律が適用されるのは、教育機会を学校では確保できない/できなかった人ということであり、自らが望む教育を実践しようとする人や団体に適用されるかといえば微妙です。また、「社会的自立」や「支援」の中身を定義は、法律を望んだ当事者であるフリースクールの手を離れ、行政機関やこの法律を背景に仕事をしたい営利企業・団体など、誰もが考えてよいことになりました。これは法律である以上当然とも言えますが、最大公約数的に「社会的自立」「支援」を語ることが出来さえすれば、良いことになったとも言えます。この二点は、マイノリティの権利を扱ってきたフリースクールとしては致命的とも言えるのではないでしょうか。フリースクールが出会ってきたマイノリティの人々は「学校に行っていない/行っていなかった人」という括りだけでしょうか。そして、最大公約数的な「社会的自立」や「支援」とはとりもなおさずマジョリティとしての視点からなされるものであり、そうした言葉に疑問を持ち新たな形を模索してきたのがフリースクールの実践なのではなかったでしょうか。

■とはいえ、法律の存在を否定するわけにもいきません。見直しをするならば、かなり時間的・労力的にきついとは思いますが、フリースクールやその周辺に代表される日本における教育マイノリティを俯瞰して、経済的支援を可能にする教育機関の定義を行い、経済的支援を努力目標から義務に格上げさせることが、個人的には必要だと思います。しかしこの定義を決めることは、現在のフリースクールや夜間中学、外国人学校やシュタイナーやサドベリーなどの教育理念に基づいた多様な学校の存在を崩すことになりかねないでしょう。現状の法律賛成推進派の立場では、上のように「独立型」「支援型」のような話をするのでいっぱいいっぱいです。しかしそれでもこれをやらなければ、法律を利用してクラスジャパンやIT企業のような、不登校児童生徒の学校復帰を目指そうとする営利的性格が強い団体が更に台頭してくることでしょう。これは何としても避けたい。

■通信や日誌でも批判的に取り上げてきた、新たな不登校に絡む団体の一連の動きについては、総会の中では変化としても課題としても触れられることはありませんでした。主催者側は自分たちの方針に沿った動きだけを見て、その他の動きは小さなものとして考えているようでした。シンポジウム後のグループトークで、主催者側の人にこの話を振っても、「東京にいるとまったく感じない」とか「法律をどのように活用するかを考える方が大事」という反応でしたし、他の人もそれについては語ろうとしない姿勢が目立ちました。自分たち以外がフリースクールとして認められることを一切考えていない法律推進派の状況には危惧を感じています。

漂流教室としては生活困窮者自立支援制度に基づく学習支援事業を通して子供の貧困の問題にも関わってきていますし、昔から医療や福祉との関わりも強く持ってきました。全国のフリースクールでもそうした実践はあるというのに、何故この法律の話になると文部科学省マターだけになるのか。自分たち自身のやってきたことを、もっと広く捉えてもいいと思います。外部評価の話も良く出てきますが、文部科学省的な観点だけではなく、医療・福祉・貧困対策・生涯学習・地域振興等の観点から総合的に捉えてもらう尺度を作るのはどうでしょうかね。