■毎日雨だなー。梅雨か。漂着教室も誰も来なくて静かな日です。頭のなかを流れるのは谷山浩子の「ごめんね」。♪雨が降ってる今日は一日〜
■さて、ときどき教室へ戻ろうかなと言い出す子がいる。そう思うに至った経緯は様々だけれど、教室に戻るのは、実はいろいろ面倒くさい。
- 情報の不足:まず自分の座席がどこなのかわからない。クラスメイトが誰なのかもわからない。時間割も行事予定もわからなければ、各教科の進度もわからない。なので持っていくものもわからない。「戻ろうかな」くらいの気持ちだと、確認事項の多さに挫折する
- 授業の準備:授業に出てもたいていはついていけない。なにもわからないまま6時間目まで座っているのは苦痛だ。自分用のプログラムは用意されているのか。または、自分で用意したものをやっていていいのか
- 周囲への不安:周りは自分のことをどんな目で見るだろうか。誰とも話ができなかったらどうしよう。耐えられず教室を出たら、どこか行ける場所はあるのだろうか
大別するとこんな感じ。これらが次から次へと頭に浮かび、プレッシャーで吐きそうだとある子は言っていた。
■学校生活とは毎日の膨大な積み重ねで、一度そこから外れると、戻るのは容易ではない。中にいる人には「日常」でも、外からは決してそうではない。「教室に戻ってみたら」と外野は簡単に言うけれど、そのためには、
- 時間割やクラスの様子、授業の進度などをいつでも伝えられるようにしておき、
- 個別プログラムを可能にし、
- 導入となる人間関係と避難場所を用意する
くらいの準備はしておかなきゃいけないんじゃないかな。飛び込む思い切りは個人の領分だけど、そのための「情報」と「装備」と「入口」、そして「避難経路」は周りもかかわれる。言葉にすれば当たり前だけど、ついつい自分の「日常」は他人にもそうだと思いがちなんだよね。学校生活に限らないか。普段の暮らしのどこを切り取っても、一度外れたら戻るのは難しい。毎日変わらないようで実は常に動き、積み上げていってるんだよな。