漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

居場所のふたつの側面

■21世紀になってから6月としては最大の寒波とかで、すごいのかすごくないのかよくわからないが、確かに寒い。北見では峠で雪が降ったとか。寒い中を歩いていて大学生のころを思い出した。街に出て、歩き疲れてどこかで休みたいと思う。ところが休む場所がない。正確にはタダで過ごせる場所がない。あるのは喫茶店やらレストランやら、過ごすのにお金を必要とする場所ばかりで、貧乏学生にはつらい。公園や駅のベンチじゃ長居はできない。お金がないと居場所がないというのは、今もむかしも変わらない。

■この場合の「居場所」は、「過ごす場所」と「行くあて」のふたつが混じっている。このあいだ、テレビ局の人と打ち合わせをしていて、「教室に居場所がない」や「家に居場所がない」というときの「居場所」はふたつの意味がある、という話をした。ひとつは、「自分の果たす役割がない」という場合。もうひとつは、「与えられた役割を外す機会がない」という場合。前者はポジションで、後者は移動・移行だ。これは「過ごす場所」と「行くあて」に対応する。「居場所」には場所と移動のふたつの側面があるらしい、というところでひとまず放り出して、自然に熟成するのを待つ。