漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

第三回JDEC日本フリースクール大会 その1

■二日目の分科会は「ひきこもり・若者支援」に参加。昨年も同じ分科会だった。参加者も同じ人が若干。しかし、昨年よりも参加者は少なかった。

フリースクール・フリースペースを運営する立場の人、スタッフ、当事者だった人らが集まり、それぞれの問題意識を語りあった。そのすれ違いぶりが面白かった。

■運営する側から語られたのは、フリースクールやフリースペースに人数が集まらず経済的に苦しいことや、家庭から居場所に引きこもる場所が変わっただけではないかという疑問、そして、自分たちの場所から次につながる場所が少ないという現状への苛立ちだった。対して、当事者だった人の話では、金銭的自立に対するプレッシャーや人との繋がりから徐々にできてくる対人関係への自信とその進みの遅さへの不安が語られていた。

■運営する側の悩みの内、当事者の悩みとオーバーラップするのは、次につながる場所の少なさだ。それ以外は、参加する人に年齢制限をかけているような自分たち自身の問題だったり、当事者の家族の不安をどう解消するかという問題だ。次につながる場所をどうするかということで、札幌で始まっている支援会議の話を振ってみたが、特に盛り上がることは無かった。しかし、各地のサポートステーションが、ひきこもりの支援機関が関わっているけれども、JDECに関わっている団体との繋がりは薄いようであることはわかった。そうしてみると、北海道からうちや札幌自由が丘が参加しているのは、少なからず貴重な事例を報告できるだろう。来年も同じところに出よう。

■ただ、どんな立場にせよ、居場所の存在がすべての悩みごとに対する解決策のベースとなっているのは面白い。人数が集まるかどうかも、居場所の役割がどのようなものかによるし、居場所に引きこもるような状況を良しとしない場合だって、そこを引き払ってもう一度家庭に戻るという選択はしないだろう。また、不登校と違い、引きこもりでは「卒業」という年限が無い。ということは、周囲にとっては、先行きが見えないということである。その不安を糊塗するように、周囲が「就職」や「自立」という先行きを立てるのでは、次につながる場所の性質は自ずと「就職場所」や「就労支援」に決まってしまう。しかし、それは当事者の悩みに応えるものではない。金銭的なプレッシャーだって、「このままでは自分は金を稼ぐことができない」という現状の自分に対する悩みであって、場所があるから行ってみようという踏ん切りが着くまでには、相当の時間がかかる。当事者が安心して悩むことのできる場所としての居場所が必要なのであって、その機能は「悩み考えながら生きる時間がある」ということに特化していいのではないか。