漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

なぜぜめ

■たとえばこういう相談がある。子供が自分を責める。「なぜあのとき助けてくれなかったのか」「なぜあのときこんなことを言ったのか」「なぜあのとき自分のことを理解してくれなかったのか」「なぜあのとき信じてくれなかったのか」。なぜ、なぜ、なぜの繰り返しで夜も昼もない。おまけにいくら説明しても納得せず、すぐまた「なぜ」と問い詰める。

■責め続けられる方はたまったもんじゃないだろう。誰もが同情する。ところで、こういうやり取りもある。「なぜ学校に行かないの」「なぜやり返さないの」「なぜ部屋から出ないの」「なぜなにも言わないの」。やはり「なぜ」の繰り返しで、しかし、こちらはあまり問題にされない。

■因果応報という話ではない。自分も同じことをしたんだから我慢しろ、ということでももちろんない。ただ、されてイヤなこと困ることというのは、子供も大人もほとんど変わらないんじゃないのかなとは思う。「どうしたらいいか」はなかなかわからない。でも、「どうしたらダメか」は自分を振り返ればある程度わかるんじゃないか。そんなことを前にも書いた。

イヤなことから考える」(2010.11.4)

■そして「なぜ」はかなり良くない方法だ。そもそも訊く側が納得することはまずない。理由を知りたいわけじゃない。自分の不安を埋めたいだけだからだ。そのくせ、そもそもなにが不安なのか自分だってわからない。わからないから不安なのだ。それで、埋まらない穴にいつまでも「なぜ」の答を放り込み続ける。それだけ不安なのはわかる。でも、それ、自分がされたらどうですか。

■どうせ「なぜ」を問うなら関係ない人間がいい。関係ない人間なら、答が的外れでも不安が消えなくても、仕方ないという気になる。だって、わかんないんだから。漂流教室でもスタッフ同士でよく話す。なんでああなるのかね、とガヤガヤ話して、答は出ない。その代わり、自分に見えてなかったことや、思いつかなかった説を聞ける。そうやって視点が増えると、底なしの穴だと思っていたものが、実は案外浅かったり、自分も一度落ちたことのあるものだったり、そんなことに気づいたりする。

■あまり続けるとお坊さんみたいになってくるのでもうやめるけど、「なぜ」と不安になったら、遠くから攻めるのがいいと思いますよ。直接問いただしてもいいことないです。もし、どうしても本人になにか言いたいなら、「どうしたい?」がいいかな。しかも、一度使ったらその後一ヶ月は禁止です。