漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

「ゆるやかさ」獲得のためには

■日本臨床教育学会でレポート発表をしてきました。テーマが「子どもの育ちを支える地域からの共同」。小学校の先生と一緒の報告です。

■俺からは漂流教室の訪問の事例をあげながら、活動範囲が「不登校の小中学生の学習支援」から「子供をとりまく環境」にまで広がった経緯と、そのなかで漂流教室の持ち味である「ただいる」関係を維持するため、あちこちの機関や人とつながりをつくるため動いていること、たとえばこういう学会に出るのもそのひとつだという話をしました。小学校の先生からは、学外の資源の洗い出しと連携、そしてなにより学内の連携を高めつつ、自分がいなくなったときのためになんらかの形を残したい、という話が出ました。

■レポート内容もだけれど、おそらく参加者が一番おどろいたのは、俺とその先生が知り合いで、仕事以外でも交流があるということだったのじゃないでしょうか。もとは2012年に教員研修の打ち上げに俺がつてもなく参加したのがきっかけでしたが、その後、フリースクールネットのイベントに来てくれたり、SNSを介したつながりもあります。昨年は一緒に生活教育の全国大会を運営したし。

■意見交換のなかで何度も「ゆるやかなつながり」という言葉が出ました。もうすっかり耳になじんだ言葉ですが、これを言っているうちは「ゆるやかなつながり」はできないように思います。だってすでに「ゆるやかさ」の実現が目的になっている。「ゆるやか」につながるためにはどうすればいいか。そんな効率重視の考えでは、きっとゆるくはなりません。なんだかわかんないけど行ってみた。仕方ないから受け入れた。無理そうだけど頼んでみた。大変だけど引き受けてみた。そんな、普段の活動を少しゆがめる動きの向こうに「ゆるやかなつながり」はあるんじゃないか。

■普段の活動をゆがめる、とは要するに「無駄」ということです。無駄なことをあえてしてみる、またはうっかりやっちゃう。つながりをつくろうとすると、きっと失敗するか、できても、かっちりしたものになってしまうのじゃないかな。

■ほかの発表では、舞台参加とヘアメイクを通した障害者の自己形成についての話と、小学校での「子ども哲学」の実践が面白かった。また報告会を開きたいな。誰か企画してちょうだい。(9/28昼)