漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

武器を持たせるなら

余市サンデースクールのあとペニーレーン24怒髪天のライブ! よかった。なんかモヤモヤしてたものがだいぶ吹っ飛んだ。

■9月2日(水)の「学校外の学びを応援する法律をつくろう 全国キャラバン!! in 札幌」は大方予想通りの展開になった。法案の「良さ」を説明する人と、「懸念」を訴える人のすれ違い。説明は不安を消さない。なぜなら説明する側が(時間の都合もあるが)、不安を受け取らないで説得しようとするから。どうしてこれまで不登校の子供やその親にしてきたことを、よそでできないんだろう。同じことなのに。

■「多様な教育機会確保法案」はかなりバージョンアップしていて、折衝のあとがうかがえた。「子どもの権利」という言葉が入ったのもよかった。自治体の責務も示してある。肝心の個別学習計画については、「〜できる」という表現なので、したくない人はしなくていいということだ、と早稲田大学の喜多さんは言った。それはそうなんだろう。でも、そのように理解する子供や保護者はどれくらいいるだろうか。そして、そのように対応する校長や教育委員会はどれだけあるか。いまだに義務教育の「義務」は子供の義務ではありません、と説明しなくちゃならない国で。民間施設利用が学校出席になっている割合が5割ほどの国で。

■喜多さんは何度も「現行の教育行政に風穴をあける法律」だと言った。この法案は武器になるんだろう。それを持って戦う人にとっては。ところで、戦う意志と知恵と時間のある人は一体どれだけいるのだろう。武器になるということは、自分が傷つけられるかもしれないということでもある。その恐怖を説明会で拾えたか。

■だから、フリースクール全国ネットワークは、誰でもが戦えるようなガイドをつくった方がいい。こういうときはこのように言いましょう。条文はこう理解しましょう。そして、それでもダメなときのために、オンブズ制度を法案にねじ込んでほしい。ここに訴えて代わりに戦ってもらいましょう。

■これまで子供が学校に行かなくなって散々あちこちと戦ってきた保護者に、新しい武器をやるからさらに戦えというのは酷な話だと聞いていて思った。それでも武器を取らせるなら、せめて戦いやすく、味方も多くしてやってほしい。

■で、怒髪天を聞いた俺がどうするかといえば、どうせ法案が通ろうが通るまいが大変なのは変わりないわけで、これまで通り、その子にとってよりマシな状況をつくるために動くしかない。どうなろうが同じことだと理解した。そして、そんなことは実は斎藤次郎氏の講演で9年前に教わっていたのだった。

例えば教育基本法が変えられる。憲法が変えられる。そういう「悪いヤツ」がいる。こういった思考はちょっと待て、と氏は言う。「悪いヤツ」と言った時点で、言った自分は「正しい人」になる。仮令なにもしていなくても。いい加減、こういうカラクリから抜け出さなくてはならない、と斎藤氏は訴える。そのためには、先ず目の前の子供を救うこと。自分がやれることをやる。そうすれば「教育基本法が変わったって大したことないんです」とまで言った。

もちろん、「教育基本法が変わったって大したことない」はその通りの意味ではない。だが、教育基本法は突然改正されるのだろうか。そこに至るまでの道程があり、それに荷担してない大人はいないはずだ。教育の現状は深刻だという。しかし、深刻じゃないときがあったろうか。「悪いヤツ」「正しい人」の二分法をやめ(それは責任の押し付け合いだから)、自分の責を引き受けることからしか現状は変わらない
斎藤次郎さん講演会→http://d.hatena.ne.jp/hyouryu/20060926/p2

だからってフリーパスという話じゃない。よりよくできるなら、または穴を埋められるのなら、またはできたことで確実にダメになるものがあるのなら、法案の行く末には目を光らせていましょう。(9/7夜)