漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

ロールモデル

■最近、日誌に本や音楽のことが書かれてなくてつまらん、とのお叱りをうけました。いや、あの、そもそもそういう場所じゃねえ。でもまあいいか。4月に札幌で岡村ちゃんのライブあるしね! アルバム出るかなー。楽しみだー。

■で、岡村ちゃんじゃなくて奥田民生の話。正確には奥田民生をモデルにしてる俺の話。俺は実際はそんなにユルい人間ではないんだけど、意識して鷹揚に見せているところはある。で、そのロールモデルが民生です。ちょっと似てるので真似しやすい。

ロールモデルとは、外から見た自分の可視化です。自分から見た自分は、他人から見た自分とは違う。自分から見た自分をもとに理想を追っても、周りは同じには受け取らない。自分の理想と他人の評価のギャップはそうやって生まれます。そこで、他人の評価を知るための道具がロールモデルです。モデルを見る自分は他者の視点。一方で、モデルはもうひとりの自分なので自己の視点も混じる。そこで初めて自分の理想と他人の評価が重なるわけです。

■なので、モデルはある程度自分とかぶる部分が必要になる。あまりに遠いと、その中に自分に見つけられない。漂流教室のボランティアを20代に限るのも、訪問で同性のスタッフを充てるのも理由は同じ。俺や山田じゃ遠すぎてモデルにならない。

■面白いのは、周りの受け入れやすさも変わってきたりすること。ちょっと民生っぽい→奥田民生はユルい→多分あの人もユルい、みたいな。周りが勝手に好意的な解釈をしてくれるので、こっちも肩肘張らずに済む。周囲の目が人の行動を決めるということはあります。だから、不登校だからって白い目で見ない方がいい。変わらない態度で接するのがいい、というのはそういうこと。

■小学生の方が再登校する割合が高いのも同じ理由だと思うんだよな。彼らはまだそこまで他人を気にしないし、自分も気にしないので、学校に来てないからってまなざしが変わらないんだと思う。それが小学校高学年から中学生になるにつれ、自他両方が気になって、文字通り見る目が変わってくる。そうなると戻ろうにも戻れない。受け入れようにも受け入れられないということになっていく。

■結局、全然音楽の話じゃなかった。ので、いまバンドで練習中の曲でも。ソロはできません。

この帽子ほしいな。髪型や服装を変えるときにも役立つよモデル。そういや、茂木さんみたいな双子のケースってどうなんだろう。他人から見た自分がすぐ隣にいるわけじゃない。