漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

那智酢

フリースクール等ネットワーク絡みで忙しくなる予定あり。

■日曜日のサンデースクールで大量の鶏キムチ鍋を食べたのが尾を引き、腹を下し、気付いたら丸一日何も食べずに過ごした。日曜昼以降なので、36時間ほどかな。夜に寒くなってきたのでピエンロー鍋を久しぶりに作って食べた。塩を入れ過ぎた。

フリースクール支援の動きに関して、「活用できるものは活用していけばよい」という論に危うさを感じている。今の状況と似た出来事は無かったのかと思い、ナチス期障害児教育のイデオロギーと内実 : 初期補助学校改革論の検討を通してという論文を見つけた。

■この論文によると、ナチスは「断種法」によって障害者や病人に対して強制的な断種措置を行った。この政策にとって、障害児を対象とした「補助学校」は、将来的に断種される者を選別し溜める機能を持っていた。しかし、そうした状況に至る間、経済的要因から補助学校を廃止せよという論が立てられた時に、ナチスはそれに対して反対しているのだ。

■以下、論文より抜粋

補助学校反対論は大体三点にまとめられる。「補助学校生徒が生計可能になることによって、正常者の職を奪い、自ら結婚する可能性も得る。」「補助学校生徒は特別な教育の結果家庭を持ち、子供を作れるようになる。」「補助学校生徒に向けられる支出は、むしろ民族の中の優秀な一員に与えたいし、国民学校の過大学級に活用したい。」
…補助学校への支出削減を求める風潮はすでにワイマール末期からあった。しかし一体誰が上述のような主張をしているのか、必ずしもここでは明記されてはいない。むしろ得体の知れぬ敵にしておく方が彼等にとっては都合がよかったとさえ思える。このように関係者の不安をあおりそこに付け込んでいく中で、ナチストは自らの主導権を握っていく。

ナチスの研究者は)補助学校が「民族繁栄と倹約の熱狂者」のいうように「反淘汰」、つまり劣等な子孫を逆に増やし、国民経済の負担を増加させるようなことはなく、むしろ補助学校こそ「知的劣等な人間に対する性生活の健全な規制と出生率の抑制」を可能にするという。また、「補助学校に対する僅かに余計に掛かる支出をもって、国家財政緊迫の要因とするのは笑止」である。…これからの補助学校は、「今日まだ優勢な自由主義個人主義的思考様式」から脱し、「国家・社会的地平に立つ」必要がある」、と。

DieHilfsschule”編集長Tornow,K.は、もっとはっきりと言う。「マルクス主義思想の指導下にあった過去14年間の民主・自由主義システムは、……末期には徹底した倹約政策によって補助学校の存在基盤を益々破壊した。」ワイマール体制の個人中心の社会は、「悪平等や機械主義をもたらし、民族の有機的統一を妨げた」のに対し、ナチス有機的世界観では、「全体が部分に優先し」「部分はその意義、課題、価値を全体から得る。」…価値観を「フェルキッシュな観点に転じさせる事が将来の補助学校の課題」となる。「あらゆる個人主義的傾向・原理を無効に」、というのである。

■論文のアブストラクトにある「ナチスの補助学校指導者は、民主主義者など反・非ナチズムを補助学校の敵に仕立てあげることで自らのイニシアチブを獲得していく」というくだりを詳細に述べたのが上記の抜粋だ。こうしてナチスは補助学校の意義付けを「補助学校廃止論をまさに逆手にとって、優生学的ならびに経済的側面の双方から」成していった。

■自分には、今般のフリースクール支援の動きが、これに似たものに見える。まず、
・「いじめ等で不登校になる生徒がたくさんいる」
・多様な教育が認められておらず、様々な成長の場がない
といった現在の教育制度とそれを作り上げている何か・誰かを「変えるべきもの」として敵認定する。このあたりまでは既に進んでいると思われる。その次に行われるのは、彼ら自身の価値観に基づいた「フリースクール」の定義づけとなるはずだ。文部科学省有識者会議を開くのがそれにあたるか。定義づけがなされれば、それに反対するものは敵認定した状況を良しとする者になり、支援は受けられない。

ナチスの場合、確かに補助学校は生き残った。そして、教育の内容は以前からの補助学校で実践されていたことに依拠して進められた。しかし、一方で補助学校はナチスの考えていた政策の道具としても利用され、禍根を残すことにもなった。自分は、日本でもそうなると考えているわけではない。しかし、この歴史からは「為政者がマイノリティを認めるという場合、美味しい部分だけを取られて終わりになるようなやり方はしない」という教訓が得られるだろう。

■ここに至って我々が取るべき道は、まず敵認定しようとしている言説とそこから始まる支援体制構築のロードマップを否定することだ。単純に為政者に自分たちの考えるフリースクールという価値観だけを述べても、それは換骨奪胎されて利用されるように道が出来ているのだ。為政者が何を意図しているかは又別の問題として、進め方自体に既にフリースクールの考えてきたこと・実践してきたことが捻じ曲げられることが内包されているようなことに賛同はできない。(火曜日)