漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

JDECまとめ その二

■分科会について。山田が「ホームエデュケーション」と「さまざまな子どもの受け入れ」、相馬が「フリースクールの多様な教育」と「フリースクールの運営と財政」に出席。今回は山田の出た部分について。

■ホームエデュケーションは漂流教室のやっている訪問支援と通じる部分が多いと考えての出席。しかし、東京シューレが運営しているホームシューレでは、家庭で行う教育の支援を行うのが主眼であり、保護者からの家庭教育のやり方についての相談と会員間交流をサポートする機関紙やインターネットの活用が活動の主な内容だった。その他、実際にホームエデュケーションを行っている家庭での過ごし方の報告が二例あった。ログハウスを家族で作ったり、自分の興味のあることからイギリスの湖水地方を旅行したという報告をスライド付きで聞いた。

■質疑では自分が質問した「ホームシューレで発達障害への対応として行っていることは何かあるか」ということに関しては、保護者からの相談にはのっていてニーズに応じた対応はしているとのことであった。ただ、実際にその場に行って状況を把握するのではないから限界があるとも。これはその通りであるから、直接会っている支援者とホームシューレが連携していくことはしているのか聞きたかったけれど、短い時間の中で尋ねられなかった。

■質疑の際に「昔ホームエデュケーションをしていたが、周囲が無理解であることがつらかった」という話が出た。報告の内容と自分の経験との差に感じるところがあったようだ。報告者からは「いつもは家でゲームやテレビを見て過ごす毎日です」という話が出たが、質問をしていた人はちょっともどかしそうだった。「○○に学ぼう」式発表は、聞く側にとっては、自分の状況を理想の状態に向けてどう変化させるか考えよ、という圧力にしかならない場合がある。発表する側に必要なことは、聞く側が現在の状況を楽に過ごすためのヒントを見つけてもらうことだが、こういう場では難しいものだ。この噛み合わなさは対話することで解消されるが、今回は参加者同士の交流がたくさんあったのは幸いだった。

■二日目の「さまざまな子どもの受け入れ」は、発達障害等の生きづらさを持つ人とフリースクールがどう関わっているかの実践報告が聞けると思い参加した。長野のForKids、広島のひゅーるぽん、島根のYCスタジオの三施設が報告。聞いていくうちに、「あれっ?」と違和感を覚えた。

■ホームエデュケーションの分科会でも感じたことだが、会場全体で「不登校は病気や障害ではない」というテーゼを守ろうとするあまり、発達障害精神疾患について語りづらくなっているのだ。「子供」ではなく「子ども」と書く、「障害」ではなく「障がい」と書くという考え方の拡張版だ。

■確かに医療や福祉に頼らずともできることはたくさんあるが、医療や福祉、行政に対してフリースクールが持っている不信感がこう前面に出てきては、連携をとるのが難しくなるだろう。他の機関に繋がってほしいなら、相手のことを認めなければならない。子供に対峙するのと一緒で、受容と共感の態度で接するといいと思う。質疑でシューレの理事でもある国立特別支援教育総合研究所の主任研究員が、全体的に医療等に対してもう少し柔らかくなってもらえるといいと話しがあったので少しほっとしたが、なんとなく、漂流教室を始めたばかりのころの、北海道のフリースクールや親の会の中でのやりとりを見ている感じがした。