漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

それはウソ

漂流教室を始める前も始めた後も、いじめによる自殺は続いている。ニュースで見る限り大津市の事件は本当にひどくて、どうにかできなかったのかと、気がつくと考えている。どれだけ考えてもいじめの解決は思いつかないが、長くいじめのニュースを見ていて、ひとつだけ分かることがある。

■関係者批判に終始する第三者の言うことはウソ。

■今回の件で、いじめた生徒の名前をさらしても、見て見ぬふりした先生の名前をさらしても、教育委員会の無能ぶりをあげつらっても、何も解決しない。自分の気を晴らすか、自説を主張したいか、どちらかにしかならない。そんなのは次の生贄を生むだけで、しかも、それこそが「いじめの構造」だったりする。

■俺も含め無関係な人間は、出てくる"新事実"に心乱されず、もっと根っこの部分を考えなきゃダメだ。誰を罰するとか罰しないとか、それは当事者の問題で、第三者はもっと別のことを考えよう。だって誰を憎む必要もないはずでしょう。憎まなくていい人間が憎しみでものを考えたら、世界は殺伐とするだけだ。

■例えば「暴力からは逃げる」という当たり前の考え方が、どうしていじめでは通用しないんだろう。「暴力から逃げろ」と「学校から逃げろ」は全然違う。学校を持ち出す必要はない。ただ「暴力からは逃げなさい」と伝えたら済むのに、どうしてそうならない。そんなことを考え、改めるのが、第三者の役割だと思うのです。間違っても、よってたかって関係者を袋叩きにすることではない。はず。それは別の"新事実"、例えば被害者へのネガティブな報道があったら、すぐに矛先を被害者に向けるような、そんな情熱でしかないと俺は思っています。