■さっぽろ若者サポートステーションの松田さんのブログを見てたら、先日のシンポの感想が書いてあった。
臨床心理や教育行政、フリースクールといった立場を代表する方からご登壇いただき、「どうすれば不登校というリスクの芽を、その後のご本人の人生に深刻なダメージを与えないようにできるか、あるいは場合によってはプラスの経験に変えることはできないか」、といったことをそれぞれの切り口から語ってもらおうと思っていたのですが、いざ始まってみると、パネリストの皆さんの持ち味を引き出すような質問や進行ができたとは、到底思えないまま終わってしまいました。
その問いは面白い。スパッと質問してくれたらよかったのに。もし訊かれてたら何て答えたろう(あ、パネリストのひとりだったんです)。
■万人に有効な策というのは案外ない。同じものが状況次第で良かったり悪かったりする。じゃあ、いっそ逆から考えたらどうだろう。「どうすればご本人の人生に深刻なダメージを与えることができるか」。されてイヤなことって結構共通なんじゃないかと思うのだ。
■蹴ったり殴ったり罵倒したり無視したり、というのは簡単すぎるのでおいといて。
■そうだな。先ずは無理矢理にでも会いに行くのが定番だよね。強引に上がりこんで、学校に来ない理由を根掘り葉掘り質問しよう。無理に聞き出しておいて、「みんなそれくらい我慢している」とか「そんなことでくじけてたらこれから生きていけない」とか「強い人間になるための試練なんだよ」とか、根拠のない道徳的な説教をする。もちろん「君のためにあえてやっているんだ」という態度は崩さずに。
■さんざん説教した後は、やっぱり外に連れ出さないとダメかなー。話してばかりじゃね。人間、身体も動かさないとね。どうせなら学校に連れてってしまえばいいよ。車に乗せてしまえば済むよ。
■と、書いてるうちにイヤーな気持ちになってきたのでもうやめるけど、みなさんも考えてみてはどうでしょう。「これだけはしちゃイケナイ」ことはわりとはっきり見える。そこに気をつけてる方が、「深刻なダメージを与えないように」どうすればいいか、と考えるより楽だし正確だと思う。
■「プラスの経験に変えること」は、うーん。ずいぶん前にこういうエントリを書いた。もうそれは、生きてくために必要なことだと思うんだよな。そのためには自分の武器として使えるものをもっと必死に考えないといけなくて、俺は色川武大の『うらおもて人生録』を読んだのがきっかけでした。
この魅力というやつが、ひとくちに説明しにくくて困るんだが、いずれ後でみっちり記すことになるだろう。
今、強引に一言で言うと、自分が生きているということを、大勢の人が、なんとか、許してくれる、というようなことかなぁ。
生きる権利なんてものは、ただ法律かなにかに謳ってあるだけで、原則じゃありませんよ。生きる権利なんてものは、あるように見えて、ないんだよ。
傷だとかマイナスの経験だとか言ってる余裕なんてないじゃん。
■無視できるならして全然構わないけど、できないならいっそ開き直って「魅力」に変える術を考えた方がいい。でも、それをどう伝えたらいいのかは、ちょっとまだわかんないな。松田さんに投げ返してみようか。