漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

こいつぁひどい

■一昨日の日誌でお知らせしたイベントは、我々も良く見る色々なMLやフリースクールの間でも流れているものです。多分、うちの日誌を読んでいる人の多くは、あんみつさんのようにクリティカルに捉えてくれるものと思い書きました。ぼくもそう捉える向きですが、これに情熱を賭ける人もやはり我々のように不登校・ひきこもりの問題を真剣に考えているわけです。はてさて、そうした人たちに自分の考えるを伝える言語を、クリティカルに捉える我々は持ち得ているのか。ぼくは彼らとアサーティブ的に接するとどうなるのだろうと思っています。

■日頃繋がっている札幌市のスクールソーシャルワーカーがどんな仕事をしているか、よくわかり、そして深く考えさせられる記事がブログに上がっている。

理不尽への涙 その1※4まであり

一般的な行政の論理なら、法令を遵守することに基づいて対応するのは至極当然と言える。例えば、やくざ者のごり押しが来たらどうする、という仮定をしてみれば、申請者が未成年の場合保護者と話し合わずに生活保護を認めるのはまずいかもしれない。しかし、それは「行政は必ず漏れのない、完璧な、誤った保護などあり得ないシステムを構築せねばならない」という態度である。どんなにやってもシステムから漏れる人が必ずいることを、不登校・ひきこもりへの支援をしている我々は見てきている。そうした人の支援は元来イレギュラーへの対応なのだから、正論は一旦脇にどける必要がある。「無理を通せば道理が引っ込む」を行政が意識的に行ってほしい。間違いが起こったときにそれをどう処理するかがしっかりしていれば、それはできるはずだ。大体、その時一番不利を被る側(今回なら未成年二人)が無理を通すだけのエネルギーを持てというのは、福祉行政の基本的な態度としては、余りに理不尽だろう。

■あ、これはフリースクール公的支援について教育行政と話し合う時と相似形でもあるな。

■夜、漂着教室のパソコンをグレードアップさせるべく、BIOSアップデートかけたら、BIOSふっとんだみたい。がーん。